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1人で戦い続け、また敗れたメッシ。
天才が抱えた責任と苦悩の過大さ。 

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藤坂ガルシア千鶴

藤坂ガルシア千鶴Chizuru de Garcia

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posted2018/07/24 08:00

1人で戦い続け、また敗れたメッシ。天才が抱えた責任と苦悩の過大さ。<Number Web> photograph by Getty Images

ナイジェリア戦での右足シュートはキャリアの中に残るファインゴールだ。それでもメッシはまたW杯に手が届かなかった。

協会の崩壊、サンパオリの無策。

 勝利至上主義のアルゼンチンにおいて、準優勝は「敗者」を意味する。

 子供の頃から誰よりも負けず嫌いだったメッシにとって、目前で世界制覇を逃し敗者となることは屈辱以外の何物でもなかった。さらに2015年コパ・アメリカ、2016年コパ・アメリカ・センテナリオでも続けてチリに敗れて準優勝……。3年連続でタイトルを逃すというトラウマを引きずったまま挑んだのが、今回のロシアW杯だったのだ。

 2014年のブラジルW杯直後のグロンドーナ逝去に端を発し、AFAは文字通り崩壊した。組織再建が最優先されたため、ユース部門を含む代表チーム全体が放置されたも同然の状況だったが、メッシと仲間たちはピッチ内外で困難に立ち向かった。

 W杯予選期間中も監督が次々と交代したため方針が定まらず、3人目となったホルヘ・サンパオリ監督は選手たちの心の傷のケアを軽視した。心理科のカウンセラーをチームに帯同させることを拒んだのである。

 結局、ロシアW杯が始まってからも的確なゲームプランを編み出すことができなかったサンパオリは、選手たちから容赦なく見限られた。

 10番をつけ、キャプテンを任され、母国の人々の希望を一身に担ったメッシだったが、さすがに1人では何もできなかった。

「メッシだけ」になった原因の精査を。

 ペケルマンが監督を続けていれば、メッシはW杯で優勝できた――。そんな保証はない。だが、ユースからの継続強化が続いていたら、アルゼンチンが今のような「メッシだけのチーム」になることはなかっただろう。

 2009年に初めてバロンドールを受け取った際、メッシは、スピーチの中で「W杯出場のチャンスを与えてくれたペケルマンに感謝します」と述べた。

 あの言葉が、すべてを表しているような気がする。メッシのあの謝辞によって、改めてペケルマンの功績が見直されたことを思い出すべきである。なぜ、メッシ1人があれほど大きな責任を背負わなくてはいけなかったのか。その原因を探り、精査し、反省し、二度と過ちを繰り返してはいけない。

 ゆっくりと時間をかけて、想像を絶する苦悩から解放されたメッシが、4年後に35歳という年齢で、もう一度世界一を目指すことは決して不可能ではないのだから。

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