酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
内川も昔なら重圧を感じなかった?
2000本安打はいつ「打者の勲章」に。
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph byKyodo News
posted2018/05/21 11:00
あらゆる記録が、内川聖一の突出度を物語っている。その勲章の中に、2000本安打も加わった。
当初はアンタッチャブルだと思われていた。
しかし当時、川上のこの記録はアンタッチャブルだと思われていた。この日の時点で、川上に次ぐ安打数2位は阪神、藤村冨美男だったが、すでに39歳。この年で引退してしまう(後に1年だけ復帰)。新聞にも「川上に続く打者は当面出てこないだろう」と書かれている。
2人目の2000本安打が出たのは、実に11年後。シュート打ちの名人、山内一弘が阪神時代の1967年10月14日、東京球場のサンケイ戦、8回表に吉江喜一から中前打で記録した。
「2000本目はインローの速い球だった。シュートだろう。やっと出たという気持ちだ。運、素質、時間、努力があればできると思っていた。川上さんの記録に追いつきたい」
観客数はたったの300人だった。
2000本を強く意識していたのが山内の元同僚の「安打製造機」東京オリオンズの榎本喜八だ。山内が2000本を達成した翌1968年7月21日、東京スタジアムの近鉄戦、1回表に鈴木啓示から一塁越え二塁打で記録達成。3人目だった。
「打球そのものは良くなかったが、走者がいたので最初から内角を狙っていた。(マネージャーから川上哲治の祝電を渡されて涙を流し)川上さんから……、ありがたいことです」
長嶋「このボール? 取っておく気もないな」
このあたりから、昭和の大打者が毎年のようにテープを切る。
4人目は南海の野村克也。1970年10月18日の大阪球場での西鉄戦、3回裏、東尾修から右前打。
「2000本目もホームランで、と思ったんやけどなあ。(上には3人いると言われて)先輩たちが立派な記録を作ってくれているんで、励みになるんや、ありがたいことや」
今のノムさんから考えれば、殊勝なコメントだ。
5人目は巨人、長嶋茂雄。報知新聞はまた1面トップで報じた。1971年5月25日、神宮球場のヤクルト戦8回表に浅野啓司から左前打。
「お客さんが楽しみにしていたようだった。だから早く打ってやろうと、年がいもなく気負っちゃったね。“よくやった”というスタンドの声を聞いて、ほんとうにうれしくなったんだ。記念のボールなんてひとつもないよ。このボール? 取っておく気もないな」
“長嶋語”が弾んでいる。