酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
内川も昔なら重圧を感じなかった?
2000本安打はいつ「打者の勲章」に。
posted2018/05/21 11:00
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph by
Kyodo News
GW最終日の5月6日、私はヤフオクドームでソフトバンクvs.オリックス戦を見ていた。試合前の時点で、ソフトバンク内川聖一の安打数は1999本。この目で史上51人目の大記録「2000本安打」を見ることができると思ったのだが。
試合前にさまざまなイベントがあり盛り上がったが、場内アナウンスは内川の「う」も言わなかった。内川に余計なプレッシャーをかけたくない球場側の配慮かと思ったが、イベントの最後の方でマイクを向けられた子供が「内川選手、今日、2000本安打打ってください」と言ってしまった。
私は「あちゃー!」と思った。果たして内川のバットから、その日は快音が聞けなかった。
内川が2000本目を打ったのはその3日後の5月9日。1999本目を打ってから実に15打席目のことだった。これは「あと1本」からの所要打席数では、史上4番目の難産記録だ。
2000本が出るまで、内川は打率.200と低迷していたが、以後は16打数6安打、打率.375と水を得た魚のように復活した(16日の試合で自打球を足に当て登録抹消になったが)。
平成屈指の安打製造機、最高の右打者の評判が高い内川をもってしても「2000本」は重圧がかかるものなのだ。
史上初の2000本安打は川上哲治。
「2000本安打」がこんな重たい記録になったのはいつからなのだろうか?
私の子供の頃と言えば、長嶋茂雄、王貞治、野村克也、張本勲らが活躍していた時代だが、そのころはそれほど騒いでいた記憶はない。
当時の新聞や雑誌をひっくり返して「2000本」が大記録になった過程を調べてみた。
日本最初の2000本安打は1956年5月31日、巨人の川上哲治によって達成された。
中日球場の中日戦の8回表、中山俊丈からの左前打だ。翌日の報知新聞は一面トップで報じている。ただし一般紙はスポーツ欄の3段程度。
「今日、2000本安打を打ってやろうという気は、はじめから持っていなかった。引き続きゲームを続けていくうちにいつかは達すると思っていた。しかし出た瞬間はさすがに嬉しかった」
川上は、のちにNHK解説者になるが。その口調を思わせる淡々としたコメントだ。