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5月15日、25歳になるJリーグへ。
今こそ伝えておきたい誕生前史。
text by
川端康生Yasuo Kawabata
photograph byJ.LEAGUE
posted2018/05/11 11:00
国立に煌めくカクテル光線。1993年5月15日、Jリーグ開幕日の記憶は今も新しい。
反対もある中、プロ化できた原動力。
そんなサッカー界への危機感と焦燥感で発足したのが活性化委員会で、そこに集合したのがJリーグ旗揚げのメンバーとなる川淵三郎や小倉純二らであることはご存知だろう。ただし、彼らが打ち出した「プロ化」という方向性は、すんなり受け入れられたわけではない。
当時の日本スポーツ界にはまだ「プロ」に対するアレルギーが根強くあったからだ。スポーツで金を稼ぐことを“不純”と捉えるような感情が国民一般にあったのだ(もしかしたら30年後の現在も少なからずあるかもしれない)。
もちろん「わずか1000人程度の観客しか集められないくせに、プロなんて無理に決まってる」という現実的な反対もあった。
それでも彼らが突き進むことができた理由を小倉がこんなふうに話してくれたことがある。
「確かにプロは冒険かもしれないけど、他に方法があるわけじゃない。それにトライしてうまくいかなかったとしても、我々には失うものは何もないじゃないか」
プロ化に向けての収支に、ある工夫。
無論、熱情だけで時代を動かせるわけではない。年をまたいで1989年にまとめられた活性化委員会の報告書には彼らの腐心の痕跡が随所に残っている。
まず言い換え。報告書には「プロリーグ」という言葉は一切使われていない。提出の前の晩になって、これを「スペシャルリーグ」と書き換えた。もちろん拒絶反応をかわすためである。
続いて“粉飾”。日本リーグをプロ化した場合の収支を試算として示したのだが、この数字を細工した。
かかる経費は施設費、人件費、運営費など年間5億円とし、それを賄うための収入を入場料(2億円)、テレビ放映権料(5000万円)、広告宣伝収入(2億5000万円)として提示したのだが、これは本当の数字とは程遠いものだった。
ポイントは広告宣伝収入である。この2億5000万円が親会社の負担になるという説明だが、これは日本リーグ時代に各企業が拠出していた2億円を意識したもの。つまりプロになっても負担はそんなに増えませんよ、という金額を提示したのである。実際の試算では年間8億円以上必要だったというから、細工というにはかなり大胆。
「いまやらねば」という切迫感があったからこそつけた“嘘”であった。