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5月15日、25歳になるJリーグへ。
今こそ伝えておきたい誕生前史。
text by
川端康生Yasuo Kawabata
photograph byJ.LEAGUE
posted2018/05/11 11:00
国立に煌めくカクテル光線。1993年5月15日、Jリーグ開幕日の記憶は今も新しい。
'88年の「日本リーグ活性化委員会」。
<いまこそ行動を起こすとき……>
そんな決起の言葉が綴られた文書がある。
A4判19枚(表紙を含めて37ページ)のワープロ書きの文書。Jリーグ誕生のきっかけとなった「日本リーグ活性化委員会」の報告書である。
委員会の設置は1988年だから開幕の5年前。いまから数えればもう30年前ということになる。
1988年といえば、平均株価が3万円の大台を突破し、日本が戦後最大の好況に沸き立っていた年である。テレビCMで「くうねるあそぶ」というキャッチコピーが流れ、「ハナモク」という言葉が流行、円高を背景に舶来品への需要が高まり、高級品志向も強まっていた。そういえば雑誌『Hanako』が創刊されたのもこの年である。
秋にはソウルでオリンピックが開かれ、フローレンス・ジョイナーが華麗に走り、ベン・ジョンソンがドーピングで失格した。ブラウン管では光GENJIがローラースケートに乗って歌い、書店には村上春樹の『ノルウェーの森』が山積みにされていた。
日本がバブルな中、サッカーは閑古鳥。
日本中にカネが溢れ(後にバブルと呼ばれることになる)、日本人は我が世の春を謳歌していたこの頃、しかし、日本サッカーはマイナーで、貧しかった。
東京、メキシコの五輪に出場した後、5度のオリンピックと5度ワールドカップですべてアジア予選敗退。当時はオリンピックに年齢制限はなかったから、日本代表は10大会連続で負け続けていたのである。
当然、スタジアムでは閑古鳥が鳴いていた。メキシコで銅メダルを獲得した1968年には1試合平均で7491人を集めていた日本リーグの観客数は、'80年代に入ると1000人台にまで低迷。
その後、記録上は回復していくことになるが、その数字はスタンドに陣取る観客の形が富士山なら4000人、もう少し小振りなら2500人というような丼勘定によるもので、岸記念体育館の倉庫のような部屋でわずかな人数によって運営されていたサッカー協会の財源も乏しく、強化のために予算を割くこともままならない時代だった。