“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
J2の首位を走るファジアーノ岡山。
守護神・一森純はCBとの二刀流!?
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2018/04/21 07:00
左はセレッソ大阪U-18時代、CBとしてプレーしていた一森純。右は現在のGK姿。
守備陣の基本的な動きを学べたCB。
結果は0-1の敗戦。これで一森たちのC大阪U-18でのプレーが終わりを告げた。
悔しがる仲間を励ましに回る背番号31の姿が印象的だったが、彼がCBとしてプレーした4試合は、その後のサッカー人生にとって非常に貴重な経験となったようだった。
「CBと3バックの左CBをやらせてもらって、凄く手応えがあったんです。
『もっとフィールドプレーヤーとしてプレーしておけば良かったな』と正直思いましたし、ベスト16で負けてしまったことは凄く残念でした。
でも、足下を磨くことができたし、C大阪U-18はラインの上げ下げなどかなり細かくやるチームだったので、ラインを上げるタイミング、下げるタイミングも公式戦で実際にやってみないと分からないものでしたから。
健勇にもかなり助けてもらいましたが、ビルドアップの駆け引きとかを、あの時に身につけることができたんですよ。
たった4試合だったけど、全国大会のガチンコの公式戦を戦ったことでGKとしてのプレー観は確実に変わりました。GKとしてビルドアップやコーチングに磨きがかかりましたね」
朝はGKの練習。午後はCBの練習を。
実は一森、関西学院大学進学後も暇を見つけては、フィールドプレーヤーとしてのプレー観を磨き続けていたという。
「朝の9時からAチームの午前練習でGKトレーニングをやって、まだ身体的に余裕があったので、午後のBチーム、Cチームの練習にCBとして参加をしていましたね。さすがに4年生になるとGKの練習のみになりましたけど(笑)。
でも、当時の僕はGKとしてプロになるためには、ただGKの練習をみんなと一生懸命やるだけじゃ差が生まれないと思ったんです。じゃあどこで差をつけないといけないかと考えたときに、僕の強みは『CBができること』じゃないかと気がついて。
そこでGKとは違う視点、価値観を磨いて、GKでのプレーに還元したかったんです」
だが大学卒業時、残念ながら彼の下にJクラブのオファーは来なかった。
そこで、当時地域リーグからJFLに昇格を果たし、J3昇格を目指していたレノファ山口FCへ、自らセレクション参加希望の紙を書いて送った。結果、見事合格を果たして入団を掴みとった。
しかし、Jリーガーを目指してスタートした1年目は、一森が想い描いていたものとはまったく違っていた……。