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J2の首位を走るファジアーノ岡山。
守護神・一森純はCBとの二刀流!?
posted2018/04/21 07:00
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph by
Takahito Ando
9試合中6試合がクリーンシートで、1試合複数失点は無し。J2リーグ最少失点タイの3失点で首位を快走するファジアーノ岡山。
この快進撃を最後尾で支えているのが、全試合フル出場の守護神・一森純だ。
セレッソ大阪の下部組織で育ち、関西学院大に進んだ後、当時JFLだったレノファ山口FCに入団。山口での3年間でJFL、J3、J2の3つのカテゴリーでプレーし、チームを上のステージに引き上げて行った立役者の1人でもあった。
2016年末に山口から岡山に完全移籍。新天地でも不動の守護神の座を掴み、昨季はリーグ36試合に出場。今年も変わらぬ安定感で岡山のゴールマウスを守っている。
一森と言えば、忘れられない思い出がある。
それは「フィールドプレーヤー・一森」だ。
GKとして致命的だった手の骨折。
彼がセレッソ大阪U-18でプレーしていた高3の時、あるアクシデントが襲いかかった。
左手親指骨折。
練習中、セービングをした際に芝に左手の親指が引っかかり、骨折してしまったのだ。
怪我をした瞬間は「やってしまったと少しへこみました」とネガティブな感情にとらわれかけたが、この怪我が彼に新たな学びのステージをもたらすことになった。
「ちょうど怪我する直前の夏過ぎに、僕が1年からずっと試合に出続けていたので、当時の監督から『将来のユースチームのことも考えて、Jユースカップは2年生のGKを使いたい』と言われ、Jユースカップの初戦で僕はベンチだったんです。その直後に骨折して、ボールをキャッチできないけど、ボールを蹴るとか、身体は問題なく動かせるので、フィジカルを上げるためにトレーニングの一環として練習でCBをやってみたんです」
ゼッセル熊取FC時代はGKとFWをこなしていたが、C大阪U-15に入ってからはずっとGKだった。しかし、2年生の起用と親指骨折の2つの要因が重なり、彼はフィジカルトレーニングのつもりでフィールドプレーヤーとしてプレーをすることになった。これが……当時の指揮官を唸らせるほどのクオリティーを見せたのだった。