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“マイアミの奇跡”を知っているか?
西野朗という男が胸に秘めるもの。
text by
戸塚啓Kei Totsuka
photograph byKatsuro Okazawa/AFLO
posted2018/04/16 07:00
1996年アトランタ五輪、「マイアミの奇跡」。A代表では日本はいまだブラジルに勝利したことがない。
「最初から守備的な試合をしたい監督はいない」
のちに西野はこう語っている。
「勝利を優先して守備を強調するのではなく、ブラジルにも持てる力をぶつける戦いをしていたら、選手たちは心の中に何か別のものを獲得したかもしれない。ただ、最初から守備的な試合をしようとする監督なんていない。少なくとも自分はそうだった。勝つことで選手たちがより多くの経験を積める、それが選手たちの日本代表入りにつながるはずだ、との思いもあった」
彼我の力関係を冷静に見極めた西野の戦略は、2010年の南アフリカW杯で16強入りした岡田武史監督のチーム作りに通じるものがある。田嶋幸三会長が求める「1パーセントでも勝利の確率をあげるため」なら、西野はロシアW杯でも現実的な選択をためらわないだろう。
影響を受けたのはヒディンク。
だからといって、西野はいつでもリアリストなわけではない。クラブレベルでは一貫して攻撃的なサッカーにこだわってきた。アトランタ五輪の監督だった当時にも、実はこんな話をしている。前園や城が発した「攻めたい」との意思表示にも、彼は理解を示していたのだ。
「選手には攻めることを求める。技術的なうまさも求める。すぐにボールを失ってしまうとか、きちんとボールを蹴れないようでは困る。それに、オフェンスの選手なら個性的すぎるくらいがちょうどいい。監督に言われたことしかやらないようでは、オフェンスに向かないと思う」
攻撃的な采配を好む西野が、影響を受けた監督はいるのだろうか。ガンバ大阪を率いていた'10年に、西野はこう答えている。
「2002年の日韓ワールドカップのヒディンクの采配には、強烈に影響を受けている。チーム作りというよりも、試合の作り方に。それはホントに強烈だったよね。破れかぶれかのような、開き直ったかのような3-4-3とか、リベロのミョンボ(洪明甫)を外して最終ラインを2枚にしたりとか。バクチ的なハイリスクに見えるけれど、それでも結果を残していく。点を取りにいくあの姿勢と、アジアの国でもああいうスタイルを作れるんだ、というところに影響を受けたね」