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サンパウロの墓参りは欠かさない。
今もブラジルGPが繋ぐセナとホンダ。 

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尾張正博

尾張正博Masahiro Owari

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photograph byHonda

posted2017/11/19 07:00

サンパウロの墓参りは欠かさない。今もブラジルGPが繋ぐセナとホンダ。<Number Web> photograph by Honda

サンパウロ市内、モルンビーの丘の墓地で、ホンダのスタッフは今年もセナの墓に参った。

サンパウロを訪れると、セナの墓参りは欠かさない。

 それでも、岡田はレースへの思いを断つことはなかった。セナによって導かれたこの世界で、エンジニアとしての仕事を極めたかったからだった。岡田はホンダが2000年にF1復帰したときも、そして'15年にF1活動を再開したときも、電装系エンジニアとしてホンダのソフトウェアを現場で担当してきた。

 岡田にとって、年に一度のブラジルGPは特別なグランプリ。サンパウロを訪れたときは、モルンビーにあるセナの墓参りを欠かさないという。

 その岡田と、9年ぶりにサーキットで再会したのが、木村真也だ。

 '89年にホンダに入社した木村は、その年からF1担当メカニックとして、埼玉県の和光研究所でエンジンの組み立てを行い、'92年からはテストチームのメカニックとして現場に派遣された。その後、ホンダがF1活動を休止したこともあって、F1以外の部署に異動したこともあったものの、一貫してレースメカニックとしてホンダのレース活動を支えてきた。 

「いまでもレースをやりたい気持ちはあるが……」

 しかし'08年にホンダがF1を撤退すると、木村は初めてレース以外の部門に配属され、'11年には自ら「新たなチャレンジをしたい」と、新車の営業マンに転じる道を選ぶ。その後、再び栃木研究所に戻った木村を待っていたのは、ブラジルでの海外勤務だった。'17年にホンダR&Dブラジル・スマレへ赴任した木村。現在の仕事は技術管理部門だ。

「いまでもレースをやりたいという気持ちは、もちろんある」と木村は言う。だが、レースを離れて「いかにホンダがレース以外の仕事で人々の役に立ち、世界で認められているのかを知る良い機会となった」とも言う。

 ブラジルに赴任して初めてのグランプリは、木村にとって'08年の最終戦以来のF1だった。その直前に岡田から連絡を受けた木村は、9年ぶりにF1が行われるサーキットを訪れることを決断。いまでは数少なくなった、第2期をともに戦った同僚である岡田や、第3期活動で一緒に汗を流したエンジニアやメカニックとも再会した。

【次ページ】 ブラジルGPは、セナ、岡田、木村を今もつないでいる。

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