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<F1 CLIMAX 2017>ホンダが本当になすべきだったこと。
text by

今宮雅子Masako Imamiya
photograph byMamoru Atsuta(CHRONO GRAPHICS)
posted2017/11/24 07:00

何が間違っていたのか、どうすべきだったのか。
苦難に満ちたホンダの3年間を検証する。
9月15日、シンガポールGPの金曜日に、マクラーレンとホンダは両者の契約が今シーズン末で終了することを発表した。
ホンダが“栄光のマクラーレン・ホンダ”復活を掲げて2015年からのF1参戦を発表したのは'13年5月。長期の予定だったはずのプロジェクトには、走り始めて3年で終止符が打たれた。理由がホンダ製パワーユニット(以下PU)の性能・信頼性不足にあることは誰の目にも明白だ。
'15年の成績は10チーム中9位。トラブルのないグランプリは稀で、第7戦カナダGP以降、ドライバーは2~3戦ごとにグリッド降格のペナルティを背負った――PUを構成する6つのエレメントは年間使用基数が制限されており、超過する度にペナルティが科せられるためだ。
'16年には信頼性が向上し、コンストラクターズ選手権の順位も6位まで挽回した。モナコGPとUSGPではフェルナンド・アロンソが5位入賞。パワーが重要なオーストリアGPでもジェンソン・バトンが6位、高速のベルギーGPでは最後尾スタートのアロンソが7位入賞を果たした。
「'16年は距離を走れた分だけ多くを学べた。'17年に向かってはさらに大きな進歩が期待できる」と、アロンソが展望を語ったのは'16年終盤。バトンは'16年を最後にレギュラードライバーから身を退き、若いストフェル・バンドーンにシートを譲った。
こちらは雑誌『Number』の掲載記事です。
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