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歴代671人のドラ1はどうなったか。
パを苦しめた「入団拒否」問題も……。
 

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広尾晃

広尾晃Kou Hiroo

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photograph byYuki Suenaga

posted2017/10/24 07:00

歴代671人のドラ1はどうなったか。パを苦しめた「入団拒否」問題も……。<Number Web> photograph by Yuki Suenaga

3年間の高校生活で注目を集め続けた清宮。どの球団が交渉権を得るにせよ、ドラ1としてのプロキャリアスタートとなるのは間違いない。

当たりくじを引いても「入団拒否」されるリスク。

 本来、ドラフトは「戦力均衡」のために導入されたはずだ。ドラフト以前、圧倒的に強かった巨人への人材の一極集中を緩和するために始まったはずだ。なのに、巨人が1位とは、ドラフトは有名無実だったのか、と思われるかもしれない。

 しかしそうではない。ドラ1で圧倒的に巨人が強いのは、昭和の時代の「ブランド力の格差」が背景にある。

 昔の超有望選手は、意中の球団でなければ、1位で指名されても、平気で拒否した。パの球団のドラフト1位指名を蹴った選手は多いのだ。1位指名されたのに入団を拒否した選手は、セ・リーグ5人(巨人1、阪神2人、広島1人、国鉄1人)に対し、パ・リーグ22人(南海・ダイエー4人、東映・日本ハム3人、西鉄3人、阪急・オリックス5人、ロッテ4人、近鉄3人)にも上る。

 パのチームは、指名が重複してくじ引きで当たりくじを引き当てても、入団拒否をされる可能性が常にあったのだ。

 だから、ドラフトの目玉とされる超大物は、あえて狙わない。巨人やセの球団が食指を動かさない選手をあえて1位指名することが多かったのだ。だから成功した選手は相対的に少なかった。

落合、イチロー、工藤……3人とも1位指名ではない!

 実は、パ・リーグのスカウトの真骨頂は隠れた逸材を見つけ出し、下位指名で獲得するところにあった。

 40歳で二冠王、MVPの門田博光は1969年、南海のドラフト2位、三冠王3度の大打者、落合博満は1978年ロッテのドラフト3位、史上最高の安打製造機、イチローは1991年のオリックスのドラフト4位、通算317勝の大投手、鈴木啓示は1965年近鉄のドラフト2位、224勝の工藤公康は1981年西武のドラフト6位だった。

 華やかなスポットライトを浴びるドラフトの目玉選手の陰で、まるで「掌中の玉」のように温めていた独自に見つけた有望選手を、巨人やセの球団に見つからないように、こそっと下位で指名する。そして大事に育てるのだ。

 つまりブランド力のないパ・リーグならではの知恵と工夫が、じわじわと戦力均衡をもたらしたと言える。

【次ページ】 長年培ったスカウト、育成力が今生きている。

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