オリンピックPRESSBACK NUMBER
ボルトに差し出された右手の意味。
「今までありがとう」と伝えると……。
text by
及川彩子Ayako Oikawa
photograph byShizuka Minami
posted2017/08/12 16:00
2012年、ジャマイカでのワンシーン。母国の子供たちにとって、彼は唯一無二のスーパースターだった。
メディアに追い回されても対応は真摯だった。
メディアに対しても真摯な姿勢を崩さなかった。取材のときには言葉を選んで、ゆっくりと考えながら話す聡明さがあった。
北京五輪後、我こそはと多くのメディアがジャマイカに乗り込み「ボルトの強さの秘密」を解き明かそうとした。無許可でスタジアムに入って撮影するヨーロッパメディアが警察に捕まる騒ぎもあった。だが、「ルールに従わないメディアは困るけど、でもできるだけ対応したいと思う。だってオレを追うのがあなたたちの仕事だし、メディアあっての自分だから」と話していた。22歳という若さだったが陸上界、スポーツ界での自分の立ち位置を理解していた。
3連覇がかかったリオ五輪は、ボルトが出場する日は、陸上を担当しない記者たちも記者席やミックスゾーンに入り込み、朝の満員電車のような状況だった。多くの記者が集まり、たくさんの質問が飛び交っても、ボルトはいつもジャマイカ人記者や顔見知りの記者の目の前で止まり、彼らの質問に優先して答えた。目があうと「次に質問を受けるから」と目で合図し、既知の記者を大事にする選手だった。
どこかほっとしているようにもみえた。
伝説の最終章を紡ぐために乗り込んだロンドンでの100mは3位に終わった。優勝したガトリンへのブーイングが飛び交う中、ボルトは大げさに悔しがることはなく、負けたことを静かに受け入れようとしていた。終わったことにほっとしているようにもみえた。
メダリスト記者会見が終了すると、ボルトは米国2選手とドーピング検査に向かった。
記者が作業をするプレスルームは、記者やカメラマンたちの熱気に満ちていた。静かな場所を求めて廊下に座って作業していると、ボルトが代理人たちと引き上げてきた。「負けちゃったよ」と言うような表情で代理人が手をあげる。こちらも「またね」と軽く手を振り返す。