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夢の実現を3年繰り上げた多田修平。
走りまくって世界のメダリストに。
posted2017/08/18 11:30
text by
生島淳Jun Ikushima
photograph by
AFLO
男子4×100mリレー。
日本チームは予選第1組を38秒21でつなぎ3位で通過したが、第1走者・多田修平(関西学院大3年)の表情は冴えなかった。
得意のスタートで持ち味を発揮することができず、第2走者・飯塚翔太へのバトンパスもスムースとは言えなかったからだ。
多田は直線が得意だ。第1走者はカーブを走らなければならないから、潜在的な苦手意識が影響したのかもしれなかった。
決勝は夜の10時前にスタートする。スプリンターたちの午後の過ごし方は様々だ。昼寝をする選手も少なくないが、多田はいつも寝ないことにしている。
この日、夕方の4時半からチーム・ミーティングがあったがその席上、コーチからショッキングな言葉が飛び出した。
「オーダーを変えます」
多田は一瞬、「あれ、自分のことかな?」と思った。
予選の走りが納得できるものではなかったからだ。替えられてもおかしくなかった。
しかし、変更になったのはアンカーだった。ケンブリッジ飛鳥から、リレー要員としてロンドンに来ていた藤光謙司にメンバーが変更になった。
多田はもう一度、走るチャンスをもらえたことがうれしかった。
決勝前に40分以上待たされるアクシデント。
そして、夜の決勝。
満員のスタンドは、ボルトのラストランと地元イギリスの走りに期待していた。異様な熱気が醸成されていた。
決勝を前に選手たちは、招集所からレースまで40分以上も待たされたという。ジャマイカ・チームのヨハン・ブレイクは、それがウサイン・ボルトの故障を誘発した原因ではないか――とメディアに語ったほどだ。