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「天理史上最高の主将」が監督に。
元プロ・中村良二は超自由主義。 

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氏原英明

氏原英明Hideaki Ujihara

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photograph byKyodo News

posted2017/08/11 11:00

「天理史上最高の主将」が監督に。元プロ・中村良二は超自由主義。<Number Web> photograph by Kyodo News

近鉄、阪神のプロ生活と天理大での指導を経て、母校の監督に就任した中村。指導者として戻ってきた甲子園でどのような采配を見せるだろうか。

高野連、大学連盟、プロ……すべてに支えられている。

 プロ・アマ規定の制度改正で母校復帰を果たした際、中村は現職への想いを人間味ある言葉で口にしていた。 

「日本高野連の田名部和裕さんは、『学生野球資格回復制度研修会』のために6カ月をかけて資料を作られたという話をうかがいました。全日本大学野球連盟の方も南原(晃)さんや内藤(雅之)さんが尽力されたり、プロでいうと松原(徹)さん。そういう方々の思いに、僕らは支えられています。それに応えられる指導をしなくちゃいけないと思っています」 

 筆者も学生指導者資格回復の研修の講義を聴講したことがあるが、日本高野連には、実は世間に染みついている「堅物」のような印象はない。むしろ制度改正に積極的な姿勢で「プロの力を借りて、野球界を良くしたい」というスタンスでいる。

 プロ側の研修は、過去に起きたプロ・アマ断然の根深い歴史を風化させないための訓示的な要素が強い。一方で日本高野連のそれは、元プロの指導者が学生野球資格を取得した際に、いかにスムーズに高校野球界に入っていように推し進めるためのものだ。

 そこでは日本学生野球憲章が手渡されるが、すべてに目を通して把握している人物はアマを指導している人でも数少ない。研修会では、高校野球を指導する上で大事なことをかいつまんで説明してくれる。そこに参加した中村は、連盟の想いを十分に受け止めていた。 

「自分たちで決めて、自己責任が持てるチーム」を。

 中村が監督として目指しているのは「自分たちで決めて、自己責任が持てるチーム」だ。自身が天理高時代に受けてきた指導そのもので、今の時代にも即したスタイルを取り入れようとしている。

 中村が高校生だった1980年代というと、監督のもとで統制、規律のあるチームこそが「高校野球らしい」とされた。だが当時の天理は、プロ野球さながら練習中に音楽をかけていたし、監督の指示を待つのではなく、選手たちが主体となって練習メニューを決めていたという。

「僕の恩師である橋本武徳先生が、僕らの代からそういうスタイルにしようと言ってくださったんです。指導者が頭ごなしにいってもお前たちの個性は生きてこないから、練習メニューでやりたいものがあったら言ってこいと。僕らの意見が聞き入れられなかったことはなかったです。練習中に音楽をかけるのもそうですし、ある日の午後練習を『休みたい』と言ったら、練習を休みにしてくれたこともありました。当時では珍しかったと思います」

【次ページ】 木陰で休んでいた天理ナインに、ある監督が……。

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