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父親が明かした張本智和の原点。
英才教育ではない天才の生まれ方。
text by
石井宏美Hiromi Ishii
photograph byAFLO
posted2017/07/29 11:30
中学生ながら世界トップを見据える地位へと駆け上がっている張本。好きだからこそ卓球をやる、その姿勢は常に変わらない。
「生徒さんの親御さんたちがあやしてくれて……」
「智和が生まれて、生活の中心が完全に日本になりました。生まれたときは将来何になってほしいとか何も考えていなかったんですが、私はやっぱり卓球をやってほしいなという気持ちはありましたね」(宇さん)
当時、仙台ジュニアクラブのコーチを務めていた両親は、生まれたばかりの張本を連れ練習場に来ていた。所属する子供たちを指導する間は、卓球を教える生徒の親御さんたちが息子の面倒を見てくれた。
「家に一人でいさせるわけにはいかなかったので、いつも練習場に智和を連れてきていました。練習の合間は生徒さんの親御さんたちがあやしてくれて。本当にいろいろとお手伝いいただいたし。ありがたかったですね」(宇さん)
すこし大きくなり歩けるようになると、張本はボールを拾って遊ぶようになった。2歳になる前にはラケットを握り、ゆっくりではあるがラリーも続くようになっていた。通常のものよりも小さな卓球台の前に立ち、ラケットを振っている張本の姿を収めた写真が今も自宅に多数残されている。
生まれながらにして卓球場の空気を感じていた張本が、卓球に興味を持つのは自然の流れだった。幼稚園の頃には、はっきりと「卓球選手になりたい」と将来の夢を口にしている。
「智和だけを見ているわけにはいかなかったんです」
そんな張本に両親はどのような指導を行ってきたのだろうか。
「私の仕事は生徒たちに卓球を教えること。クラブを強くしたいという思いも強かった。ですから、智和だけを見ているわけにはいかなかったんです。もちろん、他の子たちよりも厳しくしたいという気持ちもありましたけど、普段はなかなかできませんでしたね。智和も数十人いるクラブの生徒の1人。みんなに同じ指導をする。唯一、練習がオフだった木曜日だけは智和と2人で練習をすることはありましたが、それでも練習時間は最大で2時間くらいでした」(宇さん)
天才少年の誕生は、元プロ卓球選手の両親による幼い頃からの英才教育と厳しい練習の賜物だと予想していた。しかし、その子育ては決して卓球ありきのものではなかった――。