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父親が明かした張本智和の原点。
英才教育ではない天才の生まれ方。
posted2017/07/29 11:30
text by
石井宏美Hiromi Ishii
photograph by
AFLO
卓球の世界選手権・デュッセルドルフ大会4日目、男子シングルス2回戦。
リオデジャネイロ五輪銅メダリストの水谷隼と、大会史上最年少で世界ジュニア王者となった、張本智和の「天才」対「天才」の初対決に世界が注目した。
おそらく、大方の予想は水谷の勝利だったはずである。
しかし、試合が始まると、張本が果敢に攻め込み水谷を圧倒した。
結果は戦前の予想を覆す圧巻の完勝劇で張本が4-1で勝利。次代のエースが、日本第一人者を相手に大番狂わせを演じた。
「卓球をやってきた中で一番うれしかった」と初々しく喜びを語った13歳。
その後、準々決勝で世界ランキング3位(当時)の許昕(中国)に敗れ、ベスト8で終わったが、世界卓球での躍進でその名を世界に知らしめた。
「子供たちを教える気持ちだけで仙台に」来た父。
中国出身で元卓球選手としても活躍した父・張本宇(はりもと ゆ)は、1998年、仙台ジュニアクラブのコーチとして招かれ、宮城県仙台市へやってきた。その後、張凌と結婚。20年近くに渡って日本で卓球を教えている。昨年夏には張本卓球場を開設し、現在は主宰する仙台ジュニアクラブの練習場としてジュニアの育成に励んでいる。
「こうして仙台で自分の卓球場を開くなんて。当時は、子供たちを教える気持ちだけで仙台に来ていたので、将来のことまでは考えていなかったんですよ」(宇さん)
父・宇にはいずれは中国に戻り、プロチームのコーチになるという目標があった。実際、中国のチームからは「戻ってきて欲しい」という話も何度かあったと話す。しかし、生活の基盤が仙台で出来上がったことで、その考えも少しずつ変化してきた。
そして2003年6月には張本が誕生する。