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鳥栖からブンデス入りの鎌田大地。
「わがまま」だった高校時代は……。 

text by

安藤隆人

安藤隆人Takahito Ando

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photograph byJ.LEAGUE PHOTOS

posted2017/07/16 08:00

鳥栖からブンデス入りの鎌田大地。「わがまま」だった高校時代は……。<Number Web> photograph by J.LEAGUE PHOTOS

20歳での海外移籍というと、21歳でドルトムントへ移籍した香川真司よりも早い。期待度の高さが感じられる。

周りに目が届くようになり、パスの質にも影響。

 予想以上の意志の強さを感じた福重監督は、「お前にキャプテンを任すことは、俺も覚悟せなあかん。やってみろ」と、鎌田を信じる決断を下した。

 キャプテンに就任した鎌田は、チームがプレミアリーグウエストで苦戦する中、最前線で仲間を鼓舞しながら、どんな状況でもゴールを目指し続けた。

 結果にはつながらずリーグ戦は最下位に終わりプリンスリーグ関西へ降格となってしまったが、10得点をマークし、最後までキャプテンとしてチームを引っ張った。リーダーとしての自覚と共に、ストライカーとしてのスケールも増大させた。

「周りに気を配れるようになったし、本当にこの1年間で大人になった。フィニッシュの精度はもちろん、周りにより目が届くようになったことでパスの質も向上した」

 そう福重監督が目を細めるほど、順調な成長を遂げたのだった。

「なぜ俺を使わないんだ?」と明言。

 そして、2015年に鳥栖に入団。冒頭で書いたように、2014年の春に語った言葉を次々と具現化させていくサッカー人生をスタートさせた。

 トップデビュー2戦目となったFC東京戦後のコメントが、印象に残っている。この試合、彼はトップ下ではなくボランチで出場すると、「ボランチと聞いてびっくりしましたが、落ち着いてやれた」と終始安定したプレーと、相手の意表を突く縦パスを繰り出し、及第点以上のプレーを見せた。

 そして、試合後に「1年目でデビューをすることができた感想は?」と聞くと、「開幕の時から『なぜ俺を使わないんだ?』と思っていました。それで森下仁志監督(現・ザスパクサツ群馬監督)と1時間話し合ったりもしました」とはっきりと口にした。

 思ったことは直接しっかり伝える。そして、自らの示した意思表示に対して責任を持って実現する。高校時代から変わらないこの姿勢こそが、彼の魅力であった。

 成長するためには決断を怖れず、自分が決めた目標、道を前進して行くためならば主張もする。そして、高校時代に培ったストライカーの気質を、鳥栖でパサーと呼ばれるようになっても、きっちりとゴールという形で残すことに成功した。だからこそ、プロ3年目で“その先”である海外に渡ることが出来た。

 今の鎌田ならば、ドイツの地でも時間と空間を操るプレーで目の肥えたサポーター達を納得させてくれるはずだ。献身性と明晰な頭脳を売りにする長谷部とは違った、独特の“間”と強烈な主張を持った異質な日本人が、今年のブンデスリーガをより盛り上げてくれるに違いない。

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