酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
ONと松井秀喜と、本塁打の飛距離。
昭和と平成では球場のサイズが……。
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph bySports Graphic Number
posted2017/07/10 08:00
松井の応援歌には「ミサイルホームラン」という一節があった。球場の大型化が進んだ当時のNPBでもその飛距離は驚異的だった。
中距離打者の長嶋、アーチストの王、では松井は?
長嶋茂雄はライナー性で一直線にスタンドに飛び込む本塁打が多かった。ランニングホームランを3本放っている通り、もともとは中距離打者だったのだ。一方で王貞治は大きく円弧を描く本塁打が多い「アーチスト」だった。
しかし松井の飛球は、2人より遠くへ飛んでいたということになる。
ちなみに松井秀喜の99m以下の4本塁打はすべて神宮球場でのもの。神宮は他球団の本拠地が大型化しても、公称両翼91mのままだった。2008年になって両翼97.5mに改修されている。
両翼100m、中堅122mということは、右中間と左中間は115m以上となる。109m以下の飛球は大半がスタンドインしないことになる。
仮に99m以下の本塁打のすべて、100-109mの本塁打の半分がホームランではなかったとしてみる。長嶋の通算本塁打は444本塁打から299本塁打に、王貞治は868本から622本になる。
それでも両者とも偉大な記録だ。ましてや現役選手は誰も王の記録には足元にも及ばない。
大きな球場での「平成の野球」は違う次元になった。
それと同時に今の選手は、昭和の頃とは全く異なる環境で野球をしていることがこれでもわかると思う。松井秀喜は球場が大型化して以降のNPBで、50本塁打を打った唯一の日本人選手だ。それに加えて150m弾を11本も打っている。
最初の一発は1996年6月21日の東京ドームでの横浜戦、荒木大輔から右翼席へ打ち込んだ。照明塔に当たった。以後、広島市民球場の場外、東京ドームのオロナミンC看板直撃など、スポーツ紙の1面を飾る当たりを度々打ってきた。
昭和の時代、小さな球場で繰り広げられた「昭和の野球」も偉大ではあるが、大きな球場での「平成の野球」は違う次元になっている。
そのことは、頭に入れておいてもよいのではないかと思う。