書店員のスポーツ本探訪BACK NUMBER
武藤敬司と蝶野正洋は「生涯現役」。
橋本真也なき今も発揮する表現力。
text by
濱口陽輔Yosuke Hamaguchi
photograph byWataru Sato
posted2017/05/24 07:30
数々の激闘を繰り広げた2人も50代となった。それでもレスラーとしての矜持は今もなお心の奥底に秘めている。
“人生のすべてをプロレスにくれてやる”という覚悟。
その中で武藤が出した結論は全日本プロレス移籍だった。その時“人生の全てをプロレスにくれてやる”と覚悟を決めた。
その経緯があったからこそ、武藤は引退しない。彼の中ではプロレスそのものが人生であり、人生に引退はないからだ。
武藤自身、キャリアで後悔したことはないと言う。
新日本プロレスを辞めたこと。全日本プロレスの社長になったこと。その後、紆余曲折あり、現在はレッスル・ワンを率いていることも。
ただひとつだけ後悔していることがある。それは怪我をした膝のメンテナンスだった。“武藤=膝が悪い”というイメージがプロレスファンの中では通説である。
24歳の時、ムーンサルトプレスの連発によって右膝の半月板を損傷した。当時の武藤のフィニッシュムーブは、シュミット式バックブリーカーからのムーンサルトプレスで、何度もその美しい放物線を見せてくれた。しかし同時に膝は消耗品だった。
手術は成功したものの直後のプエルトリコ遠征が控えていたため、満足のいくリハビリをせぬまま爆弾を抱えてしまったのだ。
ただそこからの発想は武藤敬司ならではだった。膝がダメなら新しい武藤敬司のイメージを作り上げなくてはならない。膝を大事にしながら自分自身をバージョンアップさせる必要があった。
新境地となったドラゴンスクリューからの足4の字固め。
たとえば、武藤のベストバウトとの評価が高い'95年の高田延彦戦、フィニッシュで見せたドラゴンスクリューからの足4の字固めだ。古典的な技をスピーディーなドラゴンスクリューから繋げたのは武藤が元祖であり、関節技に長けたUWFの選手から取ったことで説得力と価値観が加味されたのだ。
また年齢を重ねて動けなくなってからは、使える技を大切にして間合いを長く取りつつ、魅せるパフォーマンスも見せていった。素早い動きができないのならば緩急をつける。普段あまり動かなくても、ここぞという時に動くことで自身をスピーディーに見せているのだ。
万全の状態で試合ができなくとも諦めない。自分の長所だけではなく、弱点も商売道具にできないものかと考えてみる。
前向きな武藤敬司らしい解釈だ。