書店員のスポーツ本探訪BACK NUMBER
武藤敬司と蝶野正洋は「生涯現役」。
橋本真也なき今も発揮する表現力。
text by
濱口陽輔Yosuke Hamaguchi
photograph byWataru Sato
posted2017/05/24 07:30
数々の激闘を繰り広げた2人も50代となった。それでもレスラーとしての矜持は今もなお心の奥底に秘めている。
武藤の爆弾が“膝”なら、蝶野のそれは“首”。
武藤の爆弾が“膝”なら、蝶野正洋は“首”である。
レスラー人生の中で少しずつ古傷が悪化していた蝶野は、ある時期、試合を長期欠場して首の治療に専念した時期があった。ただそのプロセスの中で目の前の不安が消え、将来の展望が見えたという。
蝶野は1998年、念願のIWGPヘビー級王座を初戴冠した次シリーズの開幕戦後に経験したことのない痺れが全身を襲った。激しい試合を繰り返した事により首にダメージがたまったことが原因だった。最悪の場合、下半身不随になることも想定しなければならない状況だった。
それでもレスラーを続けるため世界中のあらゆる治療法を探した。様々な病院と転々としたが良くなることはない。そんな中、先輩のヒロ斎藤から紹介された整体に通ううちに段々と痺れが消えていった。
回復に向かうにつれて蝶野の頭に浮かんできたことがあった。それは“プロレスだけが人生じゃないかもしれない”ということだった。つまり、今後の人生について考える時間が増えたのだ。
「自分にとっての弱点と向き合うこと、目の前の不安をひとつひとつ消すことは、新しい自分を発見する扉を開けることなのかもしれない。そう考えるだけで人生はもっと前向きに生きられるような気がする」
そう蝶野は語っている。プロレスラーはみな大なり小なり負傷を抱えている。全力で戦えないとしたら、その限られた中で己の全てを尽くそうとするのだ。
膝がボロボロでも小橋のハーフネルソン6連発を耐えた。
例えば現状のコンディションが50点でしかないとする。それでも試合で50点のものが出せれば、100点満点だと気持ちを切り替えるのだ。
蝶野の開き直った姿勢がいい方向に出たのは、2003年東京ドームの小橋建太戦だった。実はこの試合の一週間前、蝶野は左膝の内側と前十字靭帯を断裂していた。歩くこともままならない。
その中で見出した結論は“片足で互角に戦える相手ではない。『玉砕』しかない。プロレスは攻めだけでなく、受けで魅せるというテクニックもある。攻められる自分をいかに魅せるか”というもの。
つまり片足で戦うしかないなら、片足でできる100%を出せばいいと切り替えたのだ。
あの試合、小橋のハーフネルソンスープレックス6連発を受けきった蝶野正洋の姿を鮮明に記憶している。