書店員のスポーツ本探訪BACK NUMBER
武藤敬司と蝶野正洋は「生涯現役」。
橋本真也なき今も発揮する表現力。
posted2017/05/24 07:30
text by
濱口陽輔Yosuke Hamaguchi
photograph by
Wataru Sato
1990年代の新日本プロレスファンは闘魂三銃士の虜だったのではないだろうか。
闘魂三銃士とは、'88年プエルトリコで武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也によって結成されたユニットだ。新日本在籍時に3人が共闘した期間こそ短いものの、それぞれが強い個性を持ち、時にライバル。時に運命共同体として歩んだ。
ただ2000年に橋本が新日本プロレスを解雇されてから、三者三様のプロレス人生を歩むことになる。その後、橋本は急逝し、武藤と蝶野はセミリタイア状態である。
ただ武藤と蝶野に関してはいまだ現役レスラーでもある。
プロレスラーは還暦まで現役生活を送る選手もいる。プロ野球やサッカー、またプロレス以外の格闘技に比べて極めて現役生活の長い職種である。それでも誰もが生涯現役でいられる世界でない。何より武藤、蝶野ともに大きな怪我を経験している。そのキャリアの中で彼らは何を考えてプロレス人生を歩んできたのだろうか。
それが分かるのが2人の共著である『生涯現役という生き方』だ。
40歳をメドに引退を考えていた武藤にとっての転機。
武藤敬司にとって人生最大の転機は2001年のことだった。以前から痛めていた膝の影響もあり、本人は現役生活は長くないだろうと覚悟。40歳くらいをメドに引退を考えていたという。
またその時期は所属していた新日本プロレスの方針自体も変わり始めていた。創業者で当時のオーナーであるアントニオ猪木の目がプロレスよりも総合格闘技の方に向いていたのだ。
武藤風に言うならば“会社のプロレスラブ”が感じられなくなっていたのだろう。そのタイミングでライバル団体である全日本プロレスからの誘いを受けた。しかも、いちレスラーとしてではなく、会社の社長として全日本プロレスを引き継いでほしいというものだった。
当時の全日本プロレスはジャイアント馬場社長の死後、三沢光晴をはじめとした多くのレスラーがプロレスリング・ノアの旗揚げによって離脱。危機的状況にあったのだ。