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五輪から除外間際だった競歩50km。
IOCはなぜ種目を減らそうとするのか。
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byJMPA
posted2017/04/17 11:00
荒井広宙がメダルをとったこともあり、日本国内での競歩の認知度は高い。存続はひとまず喜ばしいことだろう。
大会規模を抑え、注目度を保つために。
このうち、例えば200mと言えば、ウサイン・ボルトというスーパースターがいたように、多くの選手が脚光を浴びた種目だ。こうした人気種目も含め、除外が考えられた最大の理由は、陸上の種目数の多さ、つまりは参加人数の多さにある。
IOCにしてみれば、参加者を絞りたい意向があるのだろうが、陸上関係者にとっては、先に記した200mも含めて寝耳に水という事態だったはずだ。それでも除外の検討対象になってしまうところに、IOCの強い意思がうかがえる。注目度の高い種目を残しながら、大会規模をいかにおさえるか。ひいてはビジネスとしてのチャンスを大きくするか、そんな狙いが常に見え隠れする。
振り返れば、レスリングなども五輪からの除外問題に揺れたことが記憶に新しい。
そう考えれば、全ての種目がIOCの査定に晒されているのが現状だ。時にはテレビ中継にあわせたルールの変更など、競技側の存続に向けた努力もなされているが、いたずらなルール変更は、歴史の断絶にもなりかねないし、競技の魅力を損なう可能性もある。
改善すべきところは改善するにせよ、競技固有の魅力を損なう変更は避けなければならない。競技ひと筋に打ち込んできた選手の人生に、大きな影響を与えてしまうからだ。
競歩の50kmの除外問題は、あらためてそんなことを考えさせる契機でもあった。