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「もう猫じゃないわ。虎よ」で世界一。
小平奈緒の滑りはメンタルから進化。
text by
矢内由美子Yumiko Yanai
photograph byAFLO
posted2017/03/06 07:00
五輪を1年後に控えての絶好調。それでも小平は「熟すのはまだ先」とさらなる成長を見据えている。
大舞台で力を出し切れない悩みを解決するために。
ティメルは2010年まで現役を続けていたこともあり、指導歴自体は浅い。そのためソチ五輪で金メダリストを育て上げたわけではない。しかし小平が惹かれたのは、トリノ五輪で見た、金メダリストとしての強烈なメンタリティーだった。
小平は、23歳で出た'10年バンクーバー五輪で500mで12位、1000mと1500mで5位入賞を果たし、田畑真紀、穂積雅子と組んだチームパシュートでは銀メダルを獲得した。そして、個人種目で金メダル獲得を目指したソチ五輪までの4年間は、下半身の筋肉を増やし、氷に密接するような低い姿勢の滑りを身につけ、ワールドカップで表彰台に上がる回数を徐々に増やしていた。
ただ、ここぞという大会ではなかなか力を発揮することができなかった。シーズン前半の好調さを持続することができず、失速することもままあった。
小平を長年指導する結城匡啓コーチは「力は確実についているが、まだ大きな大会で爆発的な滑りを見せたことがない。どうにかして爆発させてやりたい」という悩みを抱えていた。
500mに照準を合わせて臨んだソチ五輪の5位という成績は、いわば実力がそのまま反映された現実だった。
オランダに渡った直後は食生活で苦しんだが……。
オランダに渡った1年目のシーズン、小平はワールドカップ参戦9シーズン目にして初めて表彰台の真ん中に上がり、シーズンのW杯ランキング500mで総合1位になるという大成功を収めた。ただ、長野の和食で育った体には、乳製品がどうしても多くなってしまうオランダの食事が合わなかった。2シーズン目は牛乳と卵のアレルギーになって体調を崩し、成績不振に陥った。
2年ぶりに帰国し、和食中心の生活に戻した今シーズンは、2年間取り組んできたスケーティングフォームの改造が実を結び、自己ベスト連発の原動力となっている。