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少林寺にて、武僧として生きること。
3年に及ぶ撮影で目撃した超人の世界。 

text by

大串祥子

大串祥子Shoko Ogushi

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photograph byShoko Ogushi

posted2017/01/12 11:45

少林寺にて、武僧として生きること。3年に及ぶ撮影で目撃した超人の世界。<Number Web> photograph by Shoko Ogushi

想像を超えて、圧倒的に身体能力が高い武僧たち。

 禅・医(漢方)・武の三位一体が、少林寺の根幹をなしているのは理解できるとしても、ビミョーにどっちつかずな武僧という存在をいぶかる我に、撮影許可を取りはからって下さった阿徳老師はおっしゃった。

「武僧が僧侶として少林寺にいる限り、いい人間だろうと悪い人間だろうと、すでに別格の僧侶なのです。同じことを繰り返すうちに身についた所作というものは、仮に3年で辞めたとしても、一般の人とは違うのです。あなたはこれから何度も寺に戻るでしょう。立ち姿、歩く姿……生活のすべての場面にそれを見つけて撮りなさい」

 武僧くんたちは無駄に身体能力が高い。

 稽古が終わって部屋に戻るときも、普通に歩けばいいものを、わざわざクルッと回りながら塀を越える。仲間の悪い冗談に反論する代わりに、回し蹴り(寸止め)で応戦したり、寺の中の学校に遅刻しそうなときには、壁をよじ上って窓から入ってくるのも朝飯前。

 寺の行事の際には、大きな仏具や仏典などを運ぶ役目も担っているが、座布団を運びながらおしくらまんじゅうをしたり、荷物を載せたトラックに猿のように俊敏に飛び乗ったり、普通に何かをするという枠には収まらない。

 武僧たちの都市伝説のような身体性は、常軌を逸しすぎていて、つい笑ってしまうのである。

 齢80を超えた老法師も、撮影の依頼を快く引き受けて下さり、矍鑠とした動きを見せて下さった。

 最初の撮影でいくつかタイミングをはずしてしまったので、恐る恐る「もう一度やってもらってもいいですか(もし倒れちゃったらどうしよう)」と言うと、イヤな顔ひとつせずキビキビと2度目の演武をして下さった。

 その後、自室にてスイカを割って食べさせて下さった折に、彼の人生の話を聞くこととなった。

 日本と違い、出家した僧は結婚はできず、一生を佛の道に捧げることになるという。殺風景な部屋に貼られた観音像のポスター。家族について尋ねると、「僧になってからは、野に私の家はない。家族とも何年も会っていない。ここが家だ」と淡々と答えて下さった。

漆黒の闇でも見えるのは修行のおかげ?

 撮影の上では楽しいばかりでも、中国での生活という意味では苦労がないわけではない。

 朝の読経は5時にはじまる。ホテルを出るのは4時半だが、部屋を出ると街灯ひとつない山道は真っ暗で、完全に視力を奪われる。

 ホテルの壁をつたいながらある地点まで来るが、その先は手に触れるものもなくなり、暗い海に浮かんでいるように感じる。かすかにスマホの懐中電灯を照らして進むも、足下の周辺だけがぼんやり明るくなるだけで、あとは完全な闇である。少し目が慣れてくると、道路とそれ以外の差は分かるようになるが、もし犬の糞などがあればアウトだと心して進んでいくしかない。

 よちよち歩きの我を横目に、幼い小僧さんたちは、昼間のようにさっさと小走りに山を下っていく。「なぜこれが見える!?」と驚愕しつつも、スマホの懐中電灯をつけて追いかけていくと、小僧さんは振り返り、「まぶしくて目が痛いから電気を消して!」と我を叱る始末。

 彼らにはどうやら「見えて」いるらしい。

 便利な日本では、たとえ佐賀のような田舎(筆者の故郷)ですら、完全な闇というものは存在しない。彼らが極限のコンディションに慣らされた結果、視力にここまでの差がついてしまうのだ。

【次ページ】 カナダ人もロシア人も耐えられない極寒に……。

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釋永信
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