スポーツ・インテリジェンス原論BACK NUMBER
東洋大は、今年も優勝を狙っていた。
「青学時代」に抗う名門のプライド。
text by
生島淳Jun Ikushima
photograph byTakuya Sugiyama
posted2017/01/11 07:00
青学を追うというよりは、早稲田に意識を割く戦いだった東洋大。それでも最後は2位になるのが彼らの強さを証明していた。
「優勝」こそが東洋大のスタンダードである。
そのスタンスこそが、「優勝」がスタンダードである東洋大のプライドだ。ところが――。
選手たちが監督のプランに応えきれなかった。それが今年の東洋大だったと思う。
1区の服部は、保守的なレース運びに終始してしまった。最初からスローペースとなり嫌な予感がしたが、それでも日比谷通りから田町駅に入っていく右カーブでいったんは仕掛けた。しかしそれも長続きはせず、すぐに集団に吸収された。
本来の調子ではなかったかもしれない。また、他の大学の選手が集団を引くようなこともなく、服部もそれなりに消耗してしまった。最終的には得意とするスパート合戦で区間賞は獲得したものの、青学大との差はわずか4秒にしか過ぎなかった。
酒井監督としては1区でエースの札を切った以上、最低でも1分の貯金が欲しかっただろう。そうすれば、2区で粘ることが可能になり、競った形で3区の口町亮、4区の櫻岡駿と信頼できる4年生が青学大と競ることが可能になったはずだ。
しかし2区の高速展開で山本修二(2年)は健闘したものの粘りきれず、プランは崩れた。この時点で、勝負あった。
今回の箱根だけでなく、来年度のために。
それでも復路で持ち直して総合2位に引き上げたのは、酒井監督の手腕の賜物だろう。8区の竹下和輝(3年)が区間4位、9区の野村峻哉(3年)が区間賞の走りで順位を2位に上げ、プライドを保った。
ただし、最後まで前を向いて駅伝をすることは出来なかった。復路記録を見ると、復路優勝の青学大との差は4分41秒もあった。厳しい現実である。
駅伝シーズンを振り返ってみると、酒井監督にとっては苦心のシーズンだったと思う。出雲駅伝の後には、「服部たち4年生が抜けた来年のことを考えると、箱根と2017年度を見据えた『両面作戦』でいかないと大変なことになります」と話していた。
実際、出雲は9位、全日本は6位と東洋大のスタンダードからは大きく逸脱した結果となった。その原因はハッキリしていて、1年生に経験を積ませようとしたからだ。出雲では中村駆、渡邉奏太を起用し、全日本でも渡邉に加え、1年生では5000m持ちタイムトップの相沢晃を投入した(相澤は区間4位と健闘した)。
酒井監督はそのふたつの駅伝に目をつぶった。肚をくくっていたのだ。