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アメリカズカップで勝てば流行るか。
レジェンドが語る日本ヨットの苦境。

posted2016/11/18 10:00

 
アメリカズカップで勝てば流行るか。レジェンドが語る日本ヨットの苦境。<Number Web> photograph by Miki Fukano

左から吉田雄悟、早福和彦、笠谷勇希。日本にセーリングの文化を再び根付かせるという遠大なプロジェクトに挑む。

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中村計

中村計Kei Nakamura

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Miki Fukano

 最高峰のヨットレースである「ルイ・ヴィトン・アメリカズカップ・ワールドシリーズ」が、いよいよ日本の地である福岡で開催される。アメリカズカップは、日本に黒船が来航した時代から行われており、最古のカップ戦とも言われている。しかも、今年から日本の「ソフトバンク・チーム・ジャパン」が参戦している。

 にもかかわらず、周囲の盛り上がりが、やや物足りない感じがする。

 日本チームがアメリカズカップに挑戦するのは今回が初めてではない。'92年、'95年、'00年と3度、「ニッポンチャレンジ」として挑んでいる。当時は、オリンピックやサッカーワールドカップのように、国を挙げて応援している雰囲気があった。

 チーム・ジャパンの総監督を務める早福和彦が語る。早福はニッポンチャレンジを含めて4度、アメリカズカップ出場の経験がある。いわば、日本ヨット界のレジェンドだ。

「ニッポンチャレンジの時代は、クルーを募集したら700人もの応募がありましたからね。昨年末、チーム・ジャパンでも初めて日本人クルーを募集したのですが100人でした。前回はベースキャンプを日本(蒲郡)につくったから、報道陣も大勢集まった。そういうところも大きかったのかなと思いますね」

 現在、チーム・ジャパンのベースキャンプ地は、英領バミューダー島にある。さらにはスキッパーのディーン・バーカーを始め、クルーのほとんどが外国人である。昨年12月の選考会で、吉田雄悟と笠谷勇希の日本人クルーが新たにメンバーとして採用されたが、早福を含め、日本人はわずか3人。そうした理由からも、国民の間では、なかなか共感を得にくいのかもしれない。

船の規格が大きく変わり、過去の知識は使えない。

 致し方ない面もある。ニッポンチャレンジの時代と今では、アメリカズカップそのものが大きく変容している。

 もっとも大きく変わったのは船の規格だ。かつてはモノハルと呼ばれる単胴艇だったが、現在はカタマランと呼ばれる双胴艇が使用されている。カヌーのような細い2本の艇をつないだ船だ。セールも風にはためく繊維質のものではなく、ジェット機の翼のように厚みがあって硬質な素材のものに変わった。早福が初めて乗ったときのことを思い出す。

「もうまったく違う乗り物だと思いましたね。腰が抜けるというか、相当ハラハラしました。ゼロから最高速に達するまでの時間がものすごく短いんです」

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早福和彦

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