アメリカズカップPRESSBACK NUMBER
アメリカズカップで勝てば流行るか。
レジェンドが語る日本ヨットの苦境。
text by
中村計Kei Nakamura
photograph byMiki Fukano
posted2016/11/18 10:00
左から吉田雄悟、早福和彦、笠谷勇希。日本にセーリングの文化を再び根付かせるという遠大なプロジェクトに挑む。
アメリカズカップに出ない年数分、置いていかれる。
モノハルとの最大の違いは、艇が浮くということだ。風力のみであるにもかかわらず、最高速は60キロにも達する。
笠谷勇希は「マジカルカーペットですね」と、その衝撃を語る。
「空を飛んでるみたいな感覚です。ただ、一部のパーツは水の中にあるので、フワフワはしていない。けっこう安定してます」
そうしたさまざまな事情を考えると、今回のチーム・ジャパンの選択はベストであったとも言える。ある関係者が語る。
「日本チームがアメリカズカップに参戦するには、この方法しかなかったでしょうね。日本にはカタマランを熟知している人はほとんどいない。アメリカズカップは、まず出ないと。ヨーロッパみたいに国がつながっていればいいけど、島国の日本は出なければ出ない年数分、どんどん置いて行かれる。
だから海外でキャンプするのも正解。でないと、他国のチームと切磋琢磨できませんから。外国語も覚えませんしね。1回目は、外国人に頼るしかない。それで少しずつ日本人クルーに技術を継承し、日本人クルーの乗船人数を増やしていけばいい。10年ぐらいのタームで考えないと」
スポーツは結局、勝てばすべてが変わる世界だ。
千里の道も一歩からである。今は、チームの運営方法等に四の五の言うべきではないのかもしれない。
早福は、アメリカズカップを2度制した経験を持つニュージーランドを引き合いに出し、こう意気込みを語る。
「ニュージーランドも、今でこそ『ヨット王国』と呼ばれてますけど、'95年に初優勝するまでは、オークランドの町の周辺でやってるだけだったそうです。それが今では国中、どこでもヨットで遊んでいる子どもたちがいる。どうであれ勝てば注目されると思いますよ」
そう、結局のところ、スポーツは最後はそこに行き着くのだ。勝てば、すべてが変わる。