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バレー会場問題の陰で強化が凍結中。
日本人ありきの男子監督選考に疑問。
text by
米虫紀子Noriko Yonemushi
photograph byKyodo News
posted2016/12/09 19:00
2020年は自国開催で予選が免除され、五輪への出場が決まっている。長期計画で強化を進めて欲しい。
新監督の候補に上がったのは日本人だけだった。
ところが、新監督選考の過程で候補に挙がったのは日本人だけだった。中垣内氏は、堺の監督を5シーズン務め、'11年から'12年のロンドン五輪最終予選まで全日本コーチを務めたが、その後3年間社業に専念し、バレーからは離れていた。
今年4月に堺の部長としてバレー界に戻ってきたばかりだ。JOCのスポーツ指導者海外研修員として'11年までの2年間アメリカを中心に研修を行ったが、国際舞台で監督を務めた経験はない。
男子は'08年北京五輪後、'12年ロンドン五輪後の監督選考の際は公募を行ったが、今回は公募は行わず、強化委員会の中で自薦他薦で挙がった3人の候補者から絞られていった。
日本バレーボール協会の木村憲治会長はこう語った。
「公募という方法も1つの選択肢としてないことはなかったのですが、過去にもいろいろあったようですから、今回は強化委員会にお任せしました」
北京も、ロンドンも、監督選考でつまづいた日本。
確かに過去には“いろいろ”あった。ただそれは公募に問題があったのではなく、対応した当時の日本協会に問題があっただけだ。
'08年の公募では、イタリア代表などでの実績豊富な名将ジュリオ・ベラスコ氏が最終候補に残っていたにもかかわらず、北京五輪で1勝も挙げられなかった植田辰哉監督を続投させた。ベラスコ氏はその後'11年にアジアのライバル、イランの代表監督に就任すると、その手腕を存分に発揮し短期間でイランを世界ランク一桁の強豪に引き上げた。
今でも「あの時、ベラスコ氏が日本の監督になっていたら……」と悔やまれてならない。
'12年の公募の際も、世界的に実績のある外国人監督が複数応募していたにもかかわらず、選考作業が遅々として進まず、監督決定は翌年2月にまでずれ込み、結果的に監督経験のほとんどなかったアメリカ出身のゲーリー・サトウ氏が選ばれた。
しかも監督決定が遅すぎたため、その年の選手選考は前監督が中心となって行い、サトウ氏は自分でメンバーを選べなかった。その年の全日本は結果を出せず、1年で監督交代。こうして全日本男子は五輪後のスタートにつまずいてきた。そして今回もまた。