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「ウッシーコール」は今も変わらず。
シャルケと内田篤人、相思相愛の今。
text by
寺野典子Noriko Terano
photograph byAFLO
posted2016/10/04 16:30
プロは厳しい世界である。内田篤人がここまで手厚いケアを受けるのは、これまでに積み上げたものがあればこそなのだ。
「いつもフルスロットルじゃなくてもいいんだよ」
痛みを我慢してでも、要請があれば、ピッチに立つ。
内田の姿勢は、このころから変わらない。長いプロ生活の間ずっと、過密日程にも黙々と仕事を遂行してきたのだ。
「そんなにいつもエンジンをフルスロットルでふかしていなくてもいいんだよ」
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シャルケのスタッフにそう言葉をかけられた、と内田が話していたことがある。だからと言って、彼が自身の姿勢を変えることはなかった。
「こっちの監督は、選手に対して100%のコンディションを求める。でも、100%なんて絶対ないでしょ。多少どっか痛くても『行けるか?』って訊かれたら、『行きます』って俺はいつも言ってきたから」
そういう“無理”が災いの種になったかどうかは、今はどうでもよい話だ。そうやってピッチの上で力を示し、実績を積み重ね、存在価値を証明してきたからこそ、内田篤人は内田篤人であるのだから。
鹿島でのリハビリは、本人にもプラスがあった。
内田が日本へ帰国したのは2016年2月。当初は6カ月と言われていた治療期間を過ぎても、回復の兆候がなかった。きっと「うまく行っている」と実感できる瞬間もあっただろう。それでもまた、痛みがぶり返す。
2016年5月からは、古巣鹿島アントラーズでのリハビリを開始した。
「篤人がそばにいるのは、若い選手たちに刺激になる」という鹿島の希望で、内田のリハビリはトップチームの練習と同じ時間に設定された。それは内田にとってもプラスになったはずだ。
2016年6月には、鹿島のファーストステージ優勝が決まる大一番の前日練習に参加し、気持ちのこもったプレーでチームを鼓舞した。短い時間であっても、ボールを蹴るところまで回復しているのは朗報だった。
しかし8月中旬、内田が再び日本へ帰国したことがドイツで報じられた。しかし9月上旬にはシャルケのチームドクターが「年内復帰の可能性」を示唆し、20日にはスポーツダイレクタ―が「10月4日に検査を行い、今後のリハビリの方針を決める」と発表。22日には内田自身がクラブ公式動画で「10月4日の検査はとても重要なもの」と語っている。