欧州サッカーPRESSBACK NUMBER
「ウッシーコール」は今も変わらず。
シャルケと内田篤人、相思相愛の今。
text by
寺野典子Noriko Terano
photograph byAFLO
posted2016/10/04 16:30
プロは厳しい世界である。内田篤人がここまで手厚いケアを受けるのは、これまでに積み上げたものがあればこそなのだ。
監督に初めて伝えた「100%じゃない」。
2015年3月のレアル・マドリー戦後、内田は右足をひきずるようにミックスゾーンに現れた。
「俺の怪我は治らないからさ、痛みが無くなることもないし」と悔しさを滲ませながら語った。
「根性でなんとかしようと思っていたけど、もうごまかせない。痛いのはもう諦めているけど、動かなくなったのは困る。初めて監督に『100%じゃない』というふうに話した。今までは『大丈夫です』って言ってきたのに。それもできなかった」
ADVERTISEMENT
チームバスへと向かう内田の、歩くのもやっという後ろ姿。痛々しいという言葉すらふさわしくないような気がしたことを覚えている。
その後、ベンチ入りはしても起用されることはなく、プレーできる状態ではないことをうかがわせた。
鹿島時代から、右ひざ半月板の故障を抱えていた。
シーズンを終えた2015年6月10日、シャルケは内田が日本で手術を受けたことを発表した。クラブは保存療法を勧めたが、内田が手術を決断した。
そして7月、ドイツへ向かう内田は「(初めて手術をして)これでサッカー選手っぽくなったかな。今までは痛みを我慢しながらだましだましやっていたからね。リハビリは長いけれど、僕はただでは起き上がらない性格だから」と語っている。
「いい友達ができました。うまく付き合っていきます」とも。
そんなやっかいな相棒とのつきあいを考えると、2009年にまでさかのぼる。
Jリーグ3連覇をめざす鹿島アントラーズで、内田は右ひざ半月板の故障を抱えながら試合出場を続けていた。その時点で内田の故障は公にされていなかったが、「内田のパフォーマンスが低下」と強く指摘する記者に、たまらずといった気配で鈴木満強化部長が初めて公の場で故障について話した。そして12月5日、内田はこの日も先発して鹿島は3連覇を成し遂げた。