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ドリームチームの伝説の“コーチK”。
最後の指揮で偉大なる3連覇なるか?
posted2016/08/05 10:00
text by
長澤壮太郎Sotaro Nagasawa
photograph by
Getty Images
いよいよ始まるリオオリンピック。各競技、世界一の座を狙った激しい戦いが予想される中、バスケットボールだけは、チームUSAが圧倒的に強く、すでに金メダル獲得が濃厚です。
確かに、個々のメンバーだけを見れば、NBAのスター選手を多く擁する米国が毎回群を抜いて強く、勝つのが当たり前だと思われるでしょう。しかしチームUSAの歴史を振り返ってみると、必ずしも輝かしい結果の連続ばかりではありませんでした。
1992年バルセロナオリンピックでプロ選手のオリンピック参加が認められ、マイケル・ジョーダンを中心とした初代ドリームチームが世界中を魅了しました。それ以来、チームUSAは4年に一度、NBAのスター選手を12人かき集めて、個の才能と米国がバスケットボールで他の国に負けるはずがないというプライドだけで金メダルを獲得してきました。
ただ、バスケットボールは究極のチームスポーツ。寄せ集めの派手な個人プレイよりも、全員が組織として機能するチームプレイの方が強い。さらに、初代ドリームチームに影響された他国のバスケットボール選手のレベルが向上し、米国との差は急激に縮まっていきました。
悪夢はついに、2004年のアテネオリンピックで起きました。
9・11のテロ後、はじめてのオリンピックで悪夢が……。
スーパースター、アレン・アイバーソン、ステフォン・マーベリー、ティム・ダンカンがいながらも、チームUSAは決勝戦にも進めず、屈辱の銅メダルに終わってしまったのです。
当時の背景から見て、多くの不運が重なったことは否めません。
それは、9・11のテロ後、最初のオリンピックでした。アテネでのテロが危惧され、代表に選ばれていた主力メンバーが相次いで辞退していました。
米国代表としてオリンピックに出場するのが名誉となっている今の状況からは信じにくいですが、国代表12人のチームを作るのに30人の選手に声をかけなければならない状況だったといいます。
スクランブル体制でチームを編成したため、有名な選手に断られては、ランクを下げて違う選手に声をかけるという作業の繰り返しで、各選手の相性や特性は二の次でした。
直前になって、苦し紛れに、まだ駆け出しだったレブロン・ジェイムス、ドゥエイン・ウェイド、カーメロ・アンソニー、アマレ・スタウダマイヤーがメンバーに足されました。