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ドリームチームの伝説の“コーチK”。
最後の指揮で偉大なる3連覇なるか? 

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長澤壮太郎

長澤壮太郎Sotaro Nagasawa

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photograph byGetty Images

posted2016/08/05 10:00

ドリームチームの伝説の“コーチK”。最後の指揮で偉大なる3連覇なるか?<Number Web> photograph by Getty Images

8月1日のナイジェリアとの強化試合で19得点をあげたキャプテンのカーメロ・アンソニー。

監督も選手もバラバラだった、アテネ五輪のチーム。

 このメンバーで十分勝てると思う方が多いでしょう。

 しかしその時、彼らはまだ18~19歳。国際試合の経験も少なく、代表チームの監督であったラリー・ブラウンは経験あるベテランを優先することを好んだので、出場時間はほとんど与えられませんでした。

 また当時、監督に選手を選ぶ権限はなく、ブラウンは選出されたメンバーをそもそも気に入っておらず、主力のマーベリー、アイバーソンとの確執も話題になっていました。

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 オリンピックに向け何年も前から一致団結していたアルゼンチン、リトアニアなどに比べ、内部で問題を抱えていた米国は国の代表として完全ではなかったのです。

ドリームチーム再建に、デビッド・スターンが動く!

 バスケットボールで米国が負けるという起こってはいけない「まさか」が起こり、当時のNBAコミッショナーのデビッド・スターンが動きました。

 抜本的な改革を断行するため、チームUSA専任のGMとして、球界で信頼の厚いジェリー・コランジェロを抜擢。任務を受ける際、コランジェロの要求した条件が2つありました。1つ目は監督、コーチ、選手の選出の全権。2つ目は予算を問わないこと。

 次にコランジェロは、歴代のオリンピック出場選手や監督経験者を一堂に集め、今後のチームUSAについての大会議を開きました。

 この会議には、マイケル・ジョーダン、ラリー・バード、ジェリー・ウェスト、ジョーダンの大学の恩師ディーン・スミスなど大物が出席しました。この中で、今後の代表監督として名前が上がったのが、現監督のマイク・シャシェフスキーこと“コーチK”。

 “コーチK”はデューク大学の監督であり、マイケル・ジョーダンの卒業したノースカロライナ大学とはライバル関係にありましたが、彼を推薦したのは、そのノースカロライナ大の監督だったディーン・スミスでした。

 こうしてコランジェロとコーチKの最強タッグが誕生しました。

 この日を境に、2人は、チームUSAの根本的な文化を刷新。12人のスターを選出してきた過去は捨て、12人の“チーム”を編成することにしました。

【次ページ】 コーチKが指揮するのは、今大会が最後に……。

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