ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
「全てが日本仕様」の満点スタート。
中邑真輔のWWEデビューは前代未聞。
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph byWWE
posted2016/04/20 10:30
WWEのリングでも、中邑真輔は観ている側が驚くほどに「シンスケ・ナカムラ」だった。その魅力がアメリカを席巻する日は近い。
アメリカでも、三沢やライガーが1990年代から人気に。
それほど、かつてのアメリカマットにとって、日本のプロレスは別世界。'90年代初頭までアメリカのベースボールファンが、日本のプロ野球をほとんど気にも留めていなかったのと似ている。マニアはホームランキング、サダハル・オーや、モハメド・アリと闘ったアントニオ・イノキを知っているが、大半の人にとっては極東での“出来事”でしかなかったのだ。
それが変わってきたのは、'90年代に入ってから。レベルの高い日本のプロレスのVTRを集める海外のマニアが増え始め、全日本プロレスのエース・三沢光晴や、ジュニアヘビー級の第一人者・獣神サンダー・ライガー、女子プロレス界のトップ・豊田真奈美などは、彼らから絶大な支持を受けていた。
そういったニーズを受けて、海外の団体が日本のトップレスラーにオファーすることもたびたびあったが、それはあくまでマニア向けのプログラム。全世界の市場を相手にするWWEでは、あくまでWWEが作り出したレスラーが基本。日本のスター選手が、日本でのスタイルのままWWEと長期契約を結び、トップスターとして活躍するということはありえなかった。
2000年以降、TAJIRIやTAKAみちのくといった日本のレスラーが、WWEの一軍で活躍したが、彼らは日本の才能あるインディーレスラーをWWEがスカウトし、WWEのリングで化けた、いわば“WWE製”の日本人スーパースター。新日本で育ち、新日本で確固たる地位を築いた中邑とは、意味合いが違う。
日本のプロレスがそのままWWEでプロデュースされた中邑真輔のデビュー戦は、前代未聞の出来事だったのだ。
世界にストロングスタイルを届ける。
今回、中邑が“ほぼ日本のまま”できたのは、WWEのファーム団体的なセカンドブランドであり、マニアックでコアなファンが多いNXTだからできたという面はあるだろう。しかし、中邑と同じく今年新日本を退団したAJスタイルズは、リングネームもファイトスタイルも新日本時代のままWWE一軍のRAWに登場。“ニュージャパンで活躍した大物”として受け入れられ、早くもローマン・レインズの持つWWE世界王座への挑戦が決定している。
中邑も近い将来、必ずWWEの一軍に上がってくる。それも、しっかりとNXTで名前を売ってから、満を持して登場することだろう。
そのとき我々は、再び歴史的瞬間を目撃するに違いない。世界にストロングスタイルを届ける中邑真輔の旅は、いま始まったのだ。