野球のぼせもんBACK NUMBER
常勝ホークスの柱となる正捕手を!
工藤公康は第二の城島を育成できるか。
text by
田尻耕太郎Kotaro Tajiri
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2016/04/13 11:00
楽天との開幕戦、攝津とバッテリーを組んだが3回までに6失点した斐紹。負けを教訓に成長が期待される。
工藤公康と若手捕手という構図、かつても――。
球団や現場にも「その意識」は浸透している。実績、経験ともに豊富なベテラン捕手を起用すれば計算は立つ。だが、ホークスの未来を考えれば、次代の正捕手育成を後回しにしておけば、いつか手に負えなくなる時が来る。
だから今年、工藤監督はいばらの道を覚悟で、ベテラン投手の攝津正と和田が先発をする試合に限り、斐紹にマスクを被らせることにしたのだ。
工藤公康と若手捕手――。
この構図、かつてもあった。前身の福岡ダイエーホークスがまだ万年Bクラスだった1990年代。そのキャッチャーの急成長が、ホークスを常勝軍団に変えた歴史がある。
城島健司だ。
城島と配球について語り合った濃密な時間。
1999年、ホークスが福岡移転後初優勝を決めたシーズンの、エースと正捕手。
プロ入団時にはインサイドワークもキャッチングもアマ以下と酷評された城島を育て上げたのは、工藤ともう1人のベテラン投手武田一浩だったと語り継がれている。
「僕が育てたんじゃない。勝手に育ったんですよ」
工藤監督はそう語るが、打たれることが分かっていても首を振らずに打たれ、その後城島と配球について語り合ったり、遠征先のホテルの部屋をしつこくノックする城島を部屋に引き入れたり、濃密な時間をともに過ごした。
工藤監督は現在も「家に帰ったら配球を見るために試合を一から見直すよ。ベンチからの角度だと分かりにくいから」というが、配球について徹底的に研究するようになったのはダイエーで投げていた時代のこと。監督に就任する際も「現役時代に何度も優勝したが、'99年のダイエーでの優勝が一番思い出深い」と話したのは、決してホークスファンへのリップサービスではなかった。城島との出会いは工藤監督の野球人生も変えたのだ。