リーガ・エスパニョーラ最前線BACK NUMBER
「彼が創造したのは“流派”そのもの」
クライフの合理性、ユーモア、天才。
text by
横井伸幸Nobuyuki Yokoi
photograph byGetty Images
posted2016/04/07 10:40
追悼セレモニーのカンプ・ノウには「ありがとう、ヨハン」の文字が掲げられた。あまりに大きすぎる存在には、感謝こそが相応しい。
笑いながら話した、ストイチコフとの逸話。
しかし一方でユーモアもあった。
去る2月、バルセロナの背後に広がる山間部の散歩道を一緒に歩いたエル・ペリオディコ紙の記者は、エースのストイチコフ(元ブルガリア代表、'94年のバロンドール受賞者)との賭けの話を聞いている。
ある試合で、ストイチコフは「前半だけで(自分独りで)2得点」に10万円弱ほどを賭け、早々に1点目を決めた。そして、クライフに向かって金を用意しとけといわんばかりの笑顔を見せたという。
「だから、8番(ストイチコフの背番号)を下げろとスタッフに言ってやったんだ。それを見たフリスト(ストイチコフ)ときたら……」
病身で、クライフは笑いに笑ったらしい。
「こっちにスパイクを投げつけて、わたしを罵って『この野郎!』ってね……」
散歩では、ちょうど前夜のセルタ戦でメッシとスアレスが決めたあのPKも話題に上がっていた。
「とても嬉しかったよ。いまあれができるのはメッシぐらい。わたしの'82年のPKもすぐ取り上げられていたな。もう何年も経っているのに、こうして思い出してもらえるのは本当に喜ばしい。サッカーのおかげだよ」
クライフが作ったのはチームではなく、流派。
1928年に創設されたリーガをバルサはこれまで23回制しているが、うち13回はクライフ着任以降、つまりここ26年間の出来事である。通算5度の欧州王座奪取に至っては全てクライフ以降だ。
「ということは――」
バルダーノは指摘する。
「ヨハン・クライフのロマンチックなサッカーがバルサに教えたのは、まず勝つこと。同様にスペインサッカーもクライフに教わった。スペインの選手育成改革はクライフの影響なしではあり得なかった。ヨハンが偉大なチームを作り上げたという人は間違っている。彼が創造したのは、バルサとスペインサッカーの歴史を変えた“流派”なんだ」
物議を醸す言動も多かったクライフのこと、彼の人間性に関しては“アンチ”も少なくなったに違いない。
だがクラシコの4日前まで、カンプノウ内に設けられていた追悼スペースにはのべ6万526人が足を運んだ。クラシコ当日は9万9264人がスタンドを埋め、スクリーンに映し出される追悼ビデオに涙を流す人も大勢いた。
クライフがバルサを選んでいなかったら、いまのリーガにもバルサにもこんな魅力はなかったはず。
あらためて、クライフに感謝したい。