フィギュアスケート、氷上の華BACK NUMBER
14歳の本田真凜が世界Jr初優勝。
浅田真央が語っていた重要な言葉。
text by
田村明子Akiko Tamura
photograph byEnrico Calderoni/AFLO SPORT
posted2016/03/22 11:15
SPを暫定2位で終え、FSでは映画「ビートルジュース」の曲に合わせで演じきり、優勝。村上佳菜子以来6年ぶりの快挙となった。
優勝候補4人が欠場という異常事態。
見た目は優雅ながらも、体に過酷なスポーツであるフィギュアスケートにおいて、残念だが怪我は常について回るものである。これまでも多くの名選手たちが、怪我のため競技生活を断念し、姿を消していった。3月15日に惜しまれながら引退を発表した小塚崇彦も、競技生活の後半は怪我に苛まれていた1人である。
それにしても、1つの大会でシングルだけで優勝候補の選手4人が怪我で棄権というのは、やはり異常といわなくてはならない。
一体どうしてこのような事態となったのか。
4回転に挑戦しはじめたジュニアたち。
12月にバルセロナで開催されたジュニアとシニア合同のGPファイナルで、ジュニア男子のフリーは散々な内容だった。
6選手中全員が1度以上の4回転に挑んだものの、ノーミスで滑りきった選手は皆無だったのである。転倒、ステップアウト、ジャンプのパンクなどが続出の、サバイバルゲームのような試合となった。
昨シーズンの2014年ジュニアGPファイナルでは、フリーで4回転を入れてきたのは優勝した宇野昌磨と、5位だったボーヤン・ジンのみだった。わずか1シーズンの間に4回転の波は着実にジュニアの間にも広がってきたことがわかる。
シニア男子のトップはSPで2度、フリーで3度の4回転を降りる時代になった。ジュニアのうちから4回転に挑戦していこうという風潮になったのは、ある意味当然の成り行きかもしれない。
ISUが年齢制限を設けた理由。
女子でも、トップを狙うのなら高度なレベルの3+3コンビネーションジャンプは必須である。女子は男子に比べて、体が軽いうちのほうがジャンプには有利だと一般的に言われている。それでもやはり、まだ骨や筋肉がきちんと成長しきっていないうちに体に過度な負担を与えることには、大きなリスクが伴う。
こうした成長過程期にある選手たちの体の負担を踏まえて、ISUは今から20年前の1996年夏のISU総会で、世界選手権と五輪に出場するにはその前年の7月1日までに15歳に到達していなくてはならない、という年齢制限ルールを設けた。