フィギュアスケート、氷上の華BACK NUMBER
14歳の本田真凜が世界Jr初優勝。
浅田真央が語っていた重要な言葉。
text by
田村明子Akiko Tamura
photograph byEnrico Calderoni/AFLO SPORT
posted2016/03/22 11:15
SPを暫定2位で終え、FSでは映画「ビートルジュース」の曲に合わせで演じきり、優勝。村上佳菜子以来6年ぶりの快挙となった。
年齢制限免除で、体を壊したタラ・リピンスキー。
だがこのルールが設定される3カ月前に、13歳でエドモントン世界選手権に出場していたタラ・リピンスキーは、すでに出場した実績があるとのことでこの新ルールから免除された。そして翌年1997年ローザンヌ世界選手権では、14歳で史上最年少の世界チャンピオンになった。さらに1998年には長野でフィギュア史上最年少の五輪チャンピオンになった後、体調不調を理由に競技から引退。
しばらくプロとして活動したが、股関節の負傷でスケーターとしては再起不能と言われてアイスショーからも引退した。彼女が得意だった3ループ+3ループのコンビネーションジャンプなどが、育ちきっていない体に過度な負担を与えたのだろうといわれている。
現在でも、リピンスキーは若すぎるうちに無理をして体をつぶしたアスリートの典型として、よく引き合いに出される。
負傷をまぬがれてきた稀有な選手として……。
だがその一方で、早いうちから難易度の高いジャンプに挑みながらも大きな怪我をまぬがれてきた選手もいる。浅田真央が、その1人である。
彼女は2010年バンクーバー五輪では、女子で初めて合計3度の3アクセルを成功させ、4年後のソチ五輪では女子で唯一、トリプルアクセルを含む6種類の3回転ジャンプを試合で成功させるという偉業を成し遂げた。
それでも、浅田はこれまで大きな怪我をすることなく息の長い選手活動を続けてきた。
2015年12月のバルセロナGPファイナルでは、浅田真央に対して外国の記者から「長い競技生活を送るために、若い選手たちに何かアドバイスは」という質問が出た。