ゴルフボールの転がる先BACK NUMBER
新選手会長に宮里優作が就いた意味。
男子ゴルフ界、逆襲は「現場」から?
text by
桂川洋一Yoichi Katsuragawa
photograph byKyodo News
posted2016/01/15 10:40
スーパースターとして育ったにもかかわらず、宮里優作の人当たりは驚くほどに柔らかいのだ。
ある試合で自発的に起こったファンサービス。
宮里の話を聞いていて頭に浮かんだのは、昨年11月の三井住友VISA太平洋マスターズでのことだった。大会最終日。コースは深い霧に視界を遮られ、午前中に最終ラウンドの中止が決まり、前日までの54ホールでの結果で片山晋呉が優勝した。
既にプレーを開始し、中断後の再開を待っていた選手たちはどうしたか。
池田勇太は、若手の石川遼、永野竜太郎らとクラブハウスに急ぎ足で引き上げながら、ひそひそ話を始めた。宮里らを含め、18番グリーンにギャラリーを集めて即興のアプローチ、パター合戦などの“エキシビジョン”を行うための打ち合わせだった。
そのとき、別のティグラウンドにいた谷原秀人は、周囲のギャラリーを集めてジャンケン大会をはじめ、サイン入りグッズをプレゼント。悪天候下で独自にファンサービスを思いつき、実行に移した選手がいたわけだ。
欧米ツアーのように、中止になったラウンドを翌日以降に持ち越して、72ホールで決着すべきという議論を衰退させてはいけないと思うが、与えられた状況で「来場者に何ができるか」という問題に咄嗟に向き合い、小さくとも努力が垣間見えた時間だった。
「実際、僕らは経営のノウハウなどについての理解も乏しい。やれることは限られている。ただ、知識として(社会の)現状は知っておくべきだし、コミュニケーション、情報の一本化ができればと思う。そういうところから入っていきたい」
晩秋の霧に包まれながら、選手一人ひとりが覚えた危機感。それをより多くの選手に共有させることが新会長の最初の役目になるだろう。
宮里優作の人柄は沖縄の風か、宮里家の資質か。
宮里3兄妹の次男坊は学生時代、そして妹の藍がアマチュア優勝を遂げるまで、将来を嘱望される筆頭候補といえた。大阪桐蔭高校、東北福祉大時代には数々のタイトルを獲得したカリスマ・アマチュアだった。
それゆえ2013年12月、プロ11年目にして宮里が初勝利をつかんだ日本シリーズJTカップで、学生時代のチームメイトたちは、最終ホールのチップインパーのシーンを目にして、驚いたという。劇的な幕切れよりも、その瞬間の宮里の振る舞いにだ。
「あのプライドの高い優作が泣き崩れて、その場から立ち上がれないなんて。他人にはいつも苦しんでいる様子を見せないヤツだったのに……」
どんな人に対しても物腰が柔らかく、謙虚さが窺える人柄は、宮里優作という選手の魅力のひとつである。そうさせたのは沖縄の風か、宮里家で育まれた資質か、それともかつてのスーパーエリートに茨の道を歩ませたプロ生活ゆえか、それはまだ分からない。プレーヤーとの高いレベルでの両立は当然のこと。泥臭く、懸命に汗をかくリーダーの姿を期待したい。
国内外のトーナメント速報をいち早くお届け!!
「ゴルフダイジェスト・オンライン」 http://news.golfdigest.co.jp/