箱根駅伝PRESSBACK NUMBER
全日本大学駅伝で起きた番狂わせ。
東洋大・口町亮はなぜ覚醒したのか?
text by
Number編集部Sports Graphic Number
photograph byShunsuke Mizukami
posted2015/11/06 10:30
口町は出雲駅伝でも区間記録に3秒まで迫る快走で区間賞。ダイナミックなフォームが目を引く。
服部兄弟“以外”の選手に注力した酒井監督。
今大会、東洋大の酒井俊幸監督がテーマに掲げたのが“脱・服部兄弟”。服部兄弟の両エースに依存しない分厚いチーム作りを目指してきた。それを体現したような口町の走りだったが、実は本人の意識は微妙に違う。
「本当は『勇馬さんや弾馬に代わって自分もやってやる』という意識でやらないといけないんですけど、正直、そこまではあんまり考えられていないんです。毎日の練習をこなしていくので精いっぱいで。
(服部兄弟は)凄いです。勇馬さんは尊敬するし、弾馬も『全国区の選手は違うなぁ』と思いますし。今の3年生は全国区の選手が弾馬だけで、4年生になったらあいつだけでは勝てないと思うので、自分も弾馬と一緒にやっていければとは思うんですけど……」
これだけの結果を残していながら、朴訥とした口調から語られる自己の走りへの評価は低い。部内でも指折りの“いじられキャラ”で、大会後の写真撮影では「1番ポーズをお願いします」というリクエストに1人だけ人差し指ではなく親指を立て、酒井監督からツッコまれる一幕もあった。だが、そんなのほほんとしたキャラクターとは裏腹に、口町の言葉から見えるのが、東洋大の強さの原点だ。
練習を想定通りこなし続けることの困難さ。
「与えられたメニューは絶対に離れないでやろうと思ってやってきたら、急に活躍できたという感じです。大きい故障はなくて、1年生のころからこれまで練習を離れたこともほとんどなかったので……コツコツやってきたのが良かったんだと思います」
練習を想定通りにこなし続けること――。
大きな故障なくそれを続けることがいかに難しいかは、過去に“天才”と呼ばれながら消えて行った多くの選手たちを見れば明らかだろう。サラッと答えた一言の中に、その急成長の秘密が潜んでいた。
陸上を始めたきっかけは小学1年のとき。学校で校庭を1周走るごとにもらえるシール欲しさに走り続け、持久走では校内1位になった。高校時代は5000mと3000m障害でインターハイには出場したものの、予選落ち。全国的には無名の選手だった。東洋大を選んだ理由も、「それしか選択肢がなかったから」だ。