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チーム全員に徹底された“ベーシック”。
車いすバスケ男子日本代表、リオへ。 

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宮崎恵理

宮崎恵理Eri Miyazaki

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posted2015/10/29 11:00

チーム全員に徹底された“ベーシック”。車いすバスケ男子日本代表、リオへ。<Number Web> photograph by AFLO

日本代表キャプテンの藤本怜央(右から2番目)は韓国戦で28得点の活躍。2014年からはドイツのハンブルガーSVでもプレーしている。

及川HCが日本に持ち込んだイリノイでの経験。

 かつて、2000年のシドニー・パラリンピック、2004年のアテネ・パラリンピックで金メダルを獲得したカナダ。そのヘッドコーチだったマイク・フログリーが提唱してきたのが「ベーシック」だ。アメリカのイリノイ大学で車いすバスケのコーチング学を確立させた。世界中のパラリンピアンやジュニアエリート、また各国のコーチもフログリーが主宰するキャンプでスキルアップを図る。

 及川自身、16歳の時に骨肉腫により右足を切断。22歳で車いすバスケを始め、シドニー・パラリンピックや世界選手権の出場経験を持つ。

 '94年に単身渡米し4年間、車いすバスケ漬けの生活をおくってきた。その中で、イリノイ大学のキャンプに参加。「ベーシック」を体得し、帰国後にNPO法人<Jキャンプ>を立ち上げた。

「イリノイ大学でのキャンプの経験を、日本の車いすバスケのために生かしたい」

 その理念で、Jキャンプをスタートさせたのだった。

 Jキャンプでは、初心者でも、スキルアップを目指したいベテランでも、あるいは障害者だけでなく健常者でも参加可能な、車いすバスケのキャンプを開催する。'01年、記念すべき第1回のJキャンプに、当時13歳で参加したのが、前述の香西。翌年の第2回Jキャンプには、車いすバスケを始めたばかりの藤本が参加した。

「世界の頂点に昇りつめるということは……」

 この第1回、第2回Jキャンプには、メイン講師としてマイク・フログリーが招聘されていた。香西や藤本のポテンシャルを見抜いたフログリーは、'03年にイリノイ大学で開催されたジュニアエリートキャンプに、2人を招いた。

 香西、藤本は、及川も経験したフログリーの薫陶を、成長期にダイレクトに受けた世代でもあるのだ。

「初めてのJキャンプの時に、成田空港にマイクさんを見送りに行ったんですよ。その時に、まだ中学に入ったばかりの僕に、“イリノイ大学に来い”って、しきりに勧めてくれた。当時は、何言っちゃってんだろ、このおじさん、という感じだったのに、結果的にはその通りになった」

 香西は、フログリーとの出会いを強烈に記憶している。

「その時言われたのは、世界の頂点に昇りつめるということは、階段を一つずつ上がることだ、と。エレベーターもエスカレーターもない。そういうことを、中学生の僕に教えてくれた。この言葉は忘れられない」

【次ページ】 世界が変わった、小学6年の車いすバスケ体験。

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