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「レース人生でも完璧な決断だった」
ハミルトン、聖地で最多3勝に並ぶ。
posted2015/07/12 10:50
text by
尾張正博Masahiro Owari
photograph by
AFLO
母国GPで今季5勝目を挙げハミルトンは、チームメイトのロズベルグに17ポイント差をつけランキングトップを維持した。
日曜日の朝、いつもより早くホテルを出たにも関わらず、シルバーストンへ向かう道が混雑しており、いつもより1時間も遅くサーキットに到着した。
開幕戦から9戦目、今年初めて味わうグランプリ渋滞である。
イギリス人にとって、シルバーストンで開催されるイギリスGPは特別な意味を持つ。
それはハミルトンが土曜日の予選でポールポジションを獲得したあとのインタビューで、イギリス人の司会者がこんな質問をしていることからもわかる。
「あしたのレースでは、イギリス人としてシルバーストンで開催されるイギリスGP最多勝となる3勝目がかかっていますが、抱負をお願いします」
イギリス人がシルバーストンを特別な舞台と位置付けているのは、もちろんこのシルバーストンが第1回F1グランプリの舞台だったからだが、理由はそれだけではない。
F1が誕生する2年前の1948年に、王立自動車クラブ(RAC)によって、初めてイギリスでグランプリレースが開催された地がシルバーストンだったからである。
「シルバーストンの勝利は何物にも代えがたい宝物」
以後、イギリスのモータースポーツはロイヤルファミリーの庇護の下で育まれていった。
イギリス人にとってシルバーストンは聖地のような場所であり、そこで開催されるイギリスGPは伝統的な文化。特別な意味を持つ。
'94年にここで母国グランプリ初制覇を達成したデーモン・ヒルは言う。
「シルバーストンでの勝利は、チャンピオンだった父も成し遂げられなかった。イギリス人にとって、シルバーストンでの勝利は何物にも代えがたい宝物だ」
この年、シルバーストンの表彰台に姿を現し、トロフィを勝者に手渡したのはダイアナ妃だった。
そのシルバーストンでもっとも多くの栄冠を手にしてきたドライバーが、2人いる。
ひとりは、1960年代に「フライング・スコット」の異名で活躍したジム・クラーク。もうひとりは、'80年代から'90年代にかけて「大英帝国の息子」という愛称で親しまれたナイジェル・マンセルである。