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ビアンキ逝去。セナ以来のF1事故死に
残された者がすべきことを考える。
posted2015/07/25 10:50
text by
尾張正博Masahiro Owari
photograph by
AFLO
「大変悲しいことですが、ジュール・ビアンキの両親であるフィリップとクリスティーヌ、そして兄弟のトム、姉妹のメラニーは、ジュールが昨夜2014年10月5日に鈴鹿サーキットで行なわれたF1日本GPでの事故後に入院していたニースの中央大学病院で亡くなったことをお知らせします」
ビアンキの死を知らせる悲しい声明文が彼の家族から届いたのは、ビアンキの死から1日経った7月18日のことである。声明文には、さらに以下の文面が綴られていた。
「ジュールはいつも彼がそうであったように、最後の最後まで戦いました。しかし今日、その戦いも終わりを告げる時が来ました。私たちが負った心の傷は計り知れないほど深く、言葉では言い表せないものがあります。
愛情をもって、そして献身的にジュールの看病にあたってくださったニース中央大学病院の医療スタッフに感謝しています。また、事故直後にジュールの看護を行なった三重県の総合医療センターの方々、そしてここ数カ月の間にジュールを治療したすべての先生方にも感謝しています」
日本GPでクレーン車に激突、入院していたが……。
ビアンキが脳に深刻なダメージを負ったのは、昨年10月に開催された日本GPのレース中のことだった。
雨脚が再び強くなりだした43周目に、ビアンキがコントロールを失ってコースアウトした際、ビアンキと同様に前の周にクラッシュしていたスーティルのマシンを撤去しようとラン・オフ・エリアの上を移動していたクレーン車に激突したのである。
レースはその後赤旗が出され、再開することなく終了。
悪天のため、ドクターヘリを飛ばすことができなかった鈴鹿のメディカルスタッフは、救急車で四日市市にある三重県立総合医療センターへビアンキを搬送した。
緊急手術によって一命はとりとめたものの、あまりにも激しい衝突によって、ビアンキの脳はびまん性軸索損傷を患い、重篤な状態が続いていた。
それから約1カ月後の11月に昏睡状態を脱したビアンキは、家族とともに故郷であるフランス・ニースの病院へ転院。自発呼吸も開始していた。