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<高校野球100年を振り返る>
PLの伝説はこうして始まった……。
posted2015/06/29 12:00
text by
Number編集部Sports Graphic Number
photograph by
Katsuro Okazawa/AFLO
大阪の豊中グラウンドで全国各地区からの代表10校が参加して、第1回全国中等学校優勝野球大会が開かれました。参加10校の中で頂点に立ったのは、決勝で秋田中学を延長13回の末くだした、京都二中でした。
それから、1世紀──。
戦争で大会が中止された年もありましたが、球児たちは毎年のように夏の甲子園を沸かせ続け、彼らの笑顔と涙は、日本人の心の中に、大きな記憶として刻まれるようになったのです。
この「高校野球100年」を記念し、『Sports Graphic Number』では「記憶に残る名勝負、名試合」のアンケートを緊急実施することになりました!
そこで、この100年を振り返り、一時代を築いた「記憶に残る」チームや選手に改めて光を当てていきたいと思います。
まずは、大阪・PL学園高等学校。
清原和博と桑田真澄のKKコンビはもちろんのこと、小早川毅彦、立浪和義、片岡篤史、松井稼頭央、福留孝介、前田健太と、プロ野球を代表する好打者好投手を数多く輩出し、春夏合わせて7度の全国制覇を成し遂げた高校野球史上屈指の名門校、である。
PL学園高校野球部の歴史は、高校創立の翌年、1956年に始まっている。学校の名前を世に売って行こうと部活動に力を入れ、選手のスカウティングも熱心に行っていた。のちの名監督・中村順司さん(現名古屋商科大学野球部監督)は福岡出身で、地元の東筑高校への入学を考えていたが、PLのセレクションを知り、親の反対を押し切って1962年に越境入学を果たしている。
視聴率50%超え……『逆転のPL』は国民的な人気へ。
野球部は'62年春の大会で甲子園初出場を果たすと、同年夏、翌'63春と連続で出場。以来、浪商や北陽、明星、近大付属といった大阪府の強豪校との争いの中で力をつけながら全国大会出場を重ね、'76年夏の大会では決勝に進出。この時は延長11回で初出場の桜美林高校に屈したが、'78年夏に初優勝。この時は準決勝の中京戦を0-4の9回裏からの大逆転劇(延長12回)で、決勝戦も9回0-2からの逆転サヨナラで制するという劇的な戴冠だった。テレビの視聴率も、決勝は50%を超えた。
桑田真澄は、この時のことをよく覚えているという。
「小5の夏(1978年)、PL学園が夏の甲子園で初優勝した年、たまたまラジオから『逆転のPL』っていう実況が聞こえてきてね。魅力的なフレーズだったなぁ。あれからずっと、将来はどの高校に行きたいのかって母親に聞かれるたびに、『オレは、PLや』と答えていたからね」(Number 858号「スペシャル対談 桑田真澄×松坂大輔」より)