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<高校野球100年を振り返る>
PLの伝説はこうして始まった……。
text by
Number編集部Sports Graphic Number
photograph byKatsuro Okazawa/AFLO
posted2015/06/29 12:00
1984年7月、当時2年生だったKK。PL球場で行っていた練習の合間のひとコマ。
1年生の清原が桑田とよく話していた内容とは?
桑田はその言葉通り、1983年にPL学園高校に入学、1年生ですぐ頭角を現し、夏の大会でベンチに入る。1年生でベンチに入ったのは彼ともう1人、清原和博の2人だけだったが、年功序列の中、他の1年と同様に「下級生の仕事」が与えられた。
清原和博は、当時のことをこう語っている。
「荷物運びはもちろん、洗濯の時とか食事の時に、与えられた仕事をどうやってこなすか。1年のときは『あれはどうしよう、これはああしようか』って相談したことくらいしか、桑田と会話した記憶がないわ」(Number809、810号「独占対談 in甲子園 清原和博×桑田真澄」より)
KKをしても為し得なかった春夏連覇を達成した後輩たち。
1年生エースの桑田に4番の清原。準決勝で優勝候補筆頭の池田高校をやぶり、決勝でも春の準優勝校・横浜商業を下して頂点に立った瞬間、KKの2人は高校野球史上最強のコンビになった。
結局、2人は夏の甲子園に3年連続で出場し、通算16勝1敗。
誰もがPLのアルプススタンドの見事な人文字とマーチング、そして「あ~あ~、PL~、PL~、永遠の学園~♪」という校歌のフレーズを記憶にとどめたことだろう。
しかし、KKは春夏連覇を成し遂げることができなかった。その夢は2人の卒業から2年後、片岡篤史、立浪和義、野村弘樹、橋本清らプロでも活躍した逸材が3年生だった'87年に達成されている。
この4人は、KKが3年の時の1年。2人の凄みをその肌で感じた世代だった。