サムライブルーの原材料BACK NUMBER
任務は、最愛のクラブを離れること。
今もセレッソのために戦う柿谷曜一朗。
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byAFLO
posted2015/03/26 10:35
プロ初のハットトリックは、意外にもバーゼルに移籍してから。現在25歳、CLの舞台も経験した柿谷曜一朗はどんな伸びしろを残しているのだろうか。
徳島でも着ることがあったセレッソのチームスーツ。
バーゼルに渡ってからもなお、柿谷とセレッソとの絆は太い。
4歳から下部組織に所属し、クラブ史上最年少となる16歳でプロ契約を締結。しかし期待されながらも鳴かず飛ばずで、サッカーに対する取り組みの甘さからJ2徳島ヴォルティスへ一度は放り出された。それでも逞しさを身に着けてセレッソに戻り、エースとして君臨するという物語がある。
過日、柿谷が憧れたセレッソの“レジェンド”森島寛晃さんに話を聞く機会があった。
セレッソの育成が取材のテーマだったのだが、ひょんなことから話題が柿谷に移った。今もアンバサダーとしてクラブの発展を支える森島さんの「セレッソ愛」を尋ねたところ、彼はこう返してきた。
「僕はセレッソができたときからいますけど、セレッソ愛を一番、持っているのは曜一朗やと思いますよ。アイツのセレッソ愛に勝てるヤツって、誰もいないんじゃないかって思います。それぐらい好きなんすよ、セレッソのことが。徳島に移籍してから何かでアイツを見たときに、まだセレッソのチームスーツを着てたんですよ。ホンマに好きなんやなあって思いました」
セレッソの育成は、トップチームだけが目標ではない。
森島さんが認める、セレッソ愛を一番持っている者――。
柿谷にその気持ちが一番強いというなら、昨年、チームの順位が2ケタ台に突入している状況で移籍しなくても良かったんじゃないかと、そんな意地悪な見方もできなくはない。
しかしそれは間違った見方だと、森島さんの言葉が教えてくれる。セレッソの育成方針について語った、この言葉。
「ウチの育成はトップチームに上げることだけで“成功”とは思わないんですよ。セレッソで活躍して日本代表で活躍して、いずれは海外に出ていって活躍する。そんな選手を育てようとしているんです」
海外に出て活躍することも、育成の目標として謳われているのである。まさにここが柿谷に課せられた使命なのである。