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任務は、最愛のクラブを離れること。
今もセレッソのために戦う柿谷曜一朗。 

text by

二宮寿朗

二宮寿朗Toshio Ninomiya

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photograph byAFLO

posted2015/03/26 10:35

任務は、最愛のクラブを離れること。今もセレッソのために戦う柿谷曜一朗。<Number Web> photograph by AFLO

プロ初のハットトリックは、意外にもバーゼルに移籍してから。現在25歳、CLの舞台も経験した柿谷曜一朗はどんな伸びしろを残しているのだろうか。

クラブ下部組織からの生え抜きの海外組は柿谷が初。

 セレッソからは香川真司を筆頭に、清武弘嗣、乾貴士ら海外に飛び出して活躍しているOBが多くいる。しかしクラブ下部組織からの生え抜きで海外に渡ったのは、柿谷が初めてのケース。バーゼルから始まって柿谷の名を欧州に広めていくことが、ひいてはセレッソの下部組織でプレーする子供たちにとっての指針にもなる。

 森島さんは柿谷のみならず、海外に出ていった選手たちが「いずれまたここでプレーしてくれればいい」と望む。セレッソ→日本代表→海外→セレッソというサイクル。その循環の最初に「セレッソ下部組織→」と入れれば、柿谷に熱視線を送る子供たちが多い理由がよくわかる。セレッソのトップチームを目指し、日本代表、海外で活躍する大志を、現実的な目標に置くことができるのだから。

「いつかまた僕がセレッソに帰ってきたときに……」

「YOICHIROシート」を発表した際、クラブの公式サイトに掲載された柿谷のコメントには続きがあった。

「いつかまた僕がセレッソに帰ってきたときに、『YOICHIROシート』がきっかけでサッカー選手を目指そうと思った子供たちに会いたいです」

 柿谷自身、欧州で活躍した後に、いずれまたピンクのユニホームに袖を通すことを目標にしている。

 若いうちの苦労は買った分だけ、肥やしになる。

 森島さんはセレッソの前身であるヤンマーサッカー部に入団し、最初は土のグラウンドでボールを蹴ってきた。練習に人一倍打ち込んで“ミスターセレッソ”と呼ばれるまでになり、W杯に2度出場を果たしている。セレッソファンなら誰もが背番号8に敬意を抱いた。

 苦労を買ってきた男の目には、柿谷曜一朗が現状を打ち破っていく姿がはっきりと映っている。

「今はちょっと苦労しているかもしれませんけど、曜一朗なら、ね」

 今年43歳になるレジェンドは、そう声を張った。

 スイスリーグの日程は6月7日まで。活躍のニュースを桜咲くセレッソで森島寛晃は心待ちにしている。

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