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ジャンプ伊藤有希、悲願の初メダル。
元・天才小学生を変えた2つの転機。 

text by

松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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photograph byAFLO

posted2015/03/01 10:35

ジャンプ伊藤有希、悲願の初メダル。元・天才小学生を変えた2つの転機。<Number Web> photograph by AFLO

世界選手権で自身初の銀メダルを手にした伊藤有希(左)。1994年生まれの20歳、ジャンプをはじめたのは4歳の時だという。

葛西紀明との出会いと、ソチ五輪での経験。

 伊藤は、北海道・下川町のジャンプ少年団で競技を始め、そこで練習を続けてきた。育成においては大きな実績を誇る少年団だが、日本代表として活動を続ける伊藤には、環境が合わなくなっていたのかもしれない。

 そんな伊藤の転機は2つあった。

 1つは、'14年、土屋ホームに入社したことだ。監督はあの葛西紀明である。高橋大斗ら、日本代表で活躍してきた選手たちもいる。

「チームに入ってからは、すごく私に合ったアドバイスを、監督もコーチも、みんながしてくださるんです。先輩たちのトレーニングを目で見て習ってもいますし、言葉でも教えていただいて、本当に恵まれた環境で練習が出来てると感じます」

 練習環境の変化とともに、伊藤は国際大会で表彰台圏内を争えるまでになっていた。

 そして、もう1つの転機はソチ五輪だった。

 伊藤は7位入賞を果たしたが、試合後、涙をぽろぽろと流した。

「結果も内容も、もっと上を目指していたので」

さらなる飛躍を期して、葛西のフォームを取り入れる。

 2本目だけを見れば全体の2位だった。それだけに、踏み切りのタイミングが遅れるミスで10位に終わった1本目に悔いが残った。もっと行けたはずなのに……という手ごたえがあったからこそ、なおさら悔しかった。

 しかしこの経験は、次への決意を固める場ともなった。

「4年後にまた出たいという気持ちが強まりました」

 ソチ五輪後のワールドカップでは5戦中4戦で表彰台に上がり、総合順位も3位で締めくくった。

 今シーズンは、さらなる飛躍を期して、葛西のフォームを取り入れた。空中姿勢のとき、手のひらを下にするスタイルである。

 ワールドカップは第8戦の4位が最高と、表彰台には上がれていなかった。だが、やっていることに間違いはないと信じ、取り組んできた。

 その成果が表れたのが、今回の世界選手権での銀メダルだ。

【次ページ】 「悔しいです」でも「自信になりました」。

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