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“守備の人”細貝萌が磨く攻撃性能。
類希なる成長力は再び発揮されるか。
text by
ミムラユウスケYusuke Mimura
photograph byAFLO
posted2014/08/27 10:40
開幕戦のブレーメン戦で2-2のドローに終わったものの、中盤で気の利いたプレーを見せた細貝。浦和時代のチームメートである原口の良さを引き出せれば、攻撃面でも存在感を放てるはずだ。
細貝が辿った世代別代表での興味深い足跡とは?
にもかかわらず生まれた評価の差は、辛うじて残留できるか否かのレベルにあったアウクスブルクと、中位につけていた昨シーズンのヘルタとで期待のレベルが違ったから生じたといえる。守備ができるのは当たり前。その上で、どこまで攻撃面でも貢献できるか。それが相対評価の違いとなって表れたのである。
細貝もすでに28歳。そろそろ中堅からベテランという年代にさしかかる年齢になっている。果たして、彼はここからもう一段階成長できるのだろうか。
そんな細貝のキャリアを振り返ると、興味深いステップを経ていることに気がつく。
彼は、2003年のU-17世界選手権(現U-17W杯)を目指して戦った'02年アジアユースのメンバーに選出されていたが(アジア予選で敗退)、'05年に行なわれたU-20W杯のメンバーからは漏れてしまっている。しかし、'08年に行なわれた北京五輪(U-23日本代表)で再び年代別代表に返り咲き、本大会出場を果たした。
'02年のアジアユースのメンバーに入りながらも'05年のU-20ワールドユースのメンバーから漏れた選手で、北京五輪で年代別代表に返り咲いた者は細貝以外に一人もいない。
ちなみに、'02年アジアユースには細貝と同い年の本田圭佑、岡崎慎司、西川周作も選ばれていない。U-16世代にはいわゆる早熟タイプの選手が呼ばれて、それ以降伸び悩むことが多いとも言われている。本田や岡崎と比べれば細貝は早くから完成されていたタイプだったのかもしれない。彼はそのあと少し停滞したものの、再び上昇曲線を描いた、珍しいタイプなのだ。
高校時代はボランチでも守備をしなかった男の意識改革。
細貝は、今年4月に発売されたNumber851号のラームに関するインタビューの際に、10番を背負っていた前橋育英高時代についてこう回想していた。
「もともとはトップ下の選手で、高校に入ってからボランチになりました。ただ、トップ下をやっても、ボランチをやっても僕は守備をしなかった。だから、監督の山田(耕介)先生からは『お前は攻撃の選手じゃないんだ。このチームで守備をしていないのはお前だけだぞ』とみんなの前で何度も言われました」
ハードな守備を売りにしているヘルタでのイメージからすると、隔世の感がある。高校の途中から守備を磨き始めて今の地位を築きあげることができたのだから、並みの成長でないことは間違いない。高校卒業後は浦和レッズにボランチとして入団したが、他クラブの中には細貝を攻撃的なMFと考えて、獲得に興味を示していたところもあったそうだ。