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「日本スタイル」は攻撃だけじゃない。
4年前の“勝利への執念”を思い出せ。
posted2014/06/14 13:45
text by
寺野典子Noriko Terano
photograph by
Getty Images
たった1度の絶好機だった。
前半39分、遠藤保仁からのパスを右サイドで受けた松井大輔が、1つフェイントを入れてあげたクロスボールを本田圭佑が見事なシュートでゴールへと沈めた。
2010年6月14日、南アフリカのブルームフォンテーン。W杯初戦のカメルーン戦を1-0で勝利した日本代表。続くオランダ戦は最少失点の0-1でやぶれたものの、第3戦のデンマーク戦では本田と遠藤の2本のFKと岡崎慎司のゴールが決まり、3-1と快勝。自国開催以外のW杯で初めてのベスト16進出を果たした。
決勝トーナメント1回戦ではパラグアイと延長まで戦って、スコアレスドロー。PK戦の結果、W杯敗退が決まった日本代表だったが、前評判を覆してのベスト16進出という結果に、日本中が歓喜と感動に包まれた。
「あれをするしかなかった」という無念さ。
「自分たちの、日本らしいサッカーで戦ったわけじゃなかったし、僕自身は結果が残せたとは思っていない。すっきりしない思いがずっとあった」
あの初戦から4年が経った2014年6月13日、ブラジル・レシフェでのミックスゾーンで、長友佑都が静かに話し始めた。パラグアイ戦のあと、彼が流した悔し涙の理由は、敗戦だけではなかったのだ。
病に倒れたイビチャ・オシム氏に代わり、監督に就任した岡田武史は、「前線からハイプレッシャーをかけて、ボール・ポゼッションを高め、試合の主導権を握る」スタイルを掲げていた。
しかし、2010年5月、W杯壮行試合の韓国戦敗戦を機に、イングランド、コートジボワールとの親善試合でメンバーを変更し、4バックの前にアンカーとして阿部勇樹を置いた4-3-2-1のシステムに変更。自陣に重心を置いた“守備的”な布陣となった。
「4年前はしかたがなかった。勝てなかったし、あれをするしかなかったと思う。ああいう戦い方でどうにかやれるんじゃないかと割り切っていた部分はあった」
大久保嘉人もそう振り返っている。