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<ボストンで得た自信と信頼> 田澤純一 「パワーピッチで堂々と」
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph byYukihito Taguchi
posted2014/05/12 11:00
レッドソックスが示した“3年プログラム”を信じて。
「社会人出身の投手は、日本のプロに行ったら即戦力として期待されるじゃないですか。でも、ボクはその自信がまったくなかった。それまでプロのファームと何度か試合をしたこともありましたが、自分が通用している感じがまったくなかったんです」
そのときに“育成”を掲げて、アプローチしてきたのがレッドソックスだったのだ。
「3年かけてメジャーに上がれるようにプログラムを組んで育てます、って言ってくれた。そこに惹かれて決断したんです」
メジャーへの憧れや、力を試したいという野心……田澤はそんなものを胸にアメリカに渡ったわけではなかったのだ。野球人として未熟な自分を、一人前に育て上げてくれるかもしれない。説得力のある育成計画を示してくれたからこそ、日本のプロ野球を拒否してレッドソックスを選んだのである。
「そう決断したとき、エネオスというチームがバックアップしてくれた。もし、あのチームにいなかったら、いま自分がこうしていることもなかったんだと思います」
野球を辞めて一般の会社に勤めていれば、今頃はどこかで営業に汗を流していたかもしれない。
日本球界の“常識”に楔を打つ、メジャー流育成の結実。
日本人メジャーリーガーには3人のパイオニアがいる。
日本人として初めてメジャーリーガーとなった元サンフランシスコ・ジャイアンツの村上雅則投手。日本のプロ野球の保有権を打ち破りメジャーへの道を切り開いた元ロサンゼルス・ドジャースの野茂英雄投手。そして3人目が日本のドラフト候補での指名を拒否して直接、メジャーと契約をした田澤である。
ただ、この第3のパイオニアの後に続く選手は、まだいない。過去には西武の菊池雄星投手、日本ハムの大谷翔平投手(いずれも花巻東高)らが目指したが、結局は断念せざるをえない状況に追い込まれた。
彼らはみな、いきなりアメリカに渡ってマイナーで野球をすることの肉体的、育成法的な難しさを指摘された。環境が整った日本で(これもメジャーの立派なマイナー施設を見るとウソだと思うのだが、こぢんまりとまとまって目が行き届き易いという点ではそうかもしれない)まず腕を磨いて実績を作り、それからでもメジャーに挑戦するのは遅くないと説得された。そして、二刀流という夢を語られた――これが今はアマチュアから直接、メジャーリーグに飛び込む無謀さを説く論理となっているのだ。
だが、昨年の田澤の活躍は、そんな論理に楔を打つものだった。